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やの みつよし

矢野光儀

やの みつよし

1822(文政5)〜 1880(明治13)

幕末期の葛飾、小田縣令(県知事)

埋葬場所: 6区 1種 8側 26番

 ジャーナリストの矢野龍溪(6-1-8-25)の父。豊後国佐伯藩士。浦奉行や町奉行を勤め名奉行として讃えられた。 1969(M2)葛飾県(現千葉県)の知事になり、凶作時に救民のため貯蓄米を放出するなどした。71には深津県(のちに小田県、現岡山県)知事となる。 小田県博覧会の開催や「小田県新聞」の発行、公選による県会を開くなど、多くの開放的・開明的施策を行った。


*矢野光儀墓所の左側の墓所が息子の矢野龍溪(墓石には本名の矢野文雄)の墓所である。


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