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やまのうち まさと

山内雅人

やまのうち まさと

1929.4.3(昭和4)〜 2003.4.7(平成15)

昭和・平成期の声優

埋葬場所: 5区 2種 6側〔足立家〕

 東京目黒出身。本名は山内幹雄(やまうち みきお)。別芸名に山ノ内雅人、山内幹也がある。
 1950(S25)早稲田大学法学部卒業。鎌倉アカデミア演劇科修了。'51 NHK東京放送劇団に入団し、ラジオドラマ「笛吹童子」の小次郎役でデビュー。'59 文化放送の「役の行者」に加藤道子とともに出演。これは東京放送劇団がNHK以外の番組に出演した最初の例となった。
 海外ドラマ「ドクター・キルディア」のリチャード・チェンバレン、「愛情物語」のタイロン・パワー、他に『長い灰色の線』『剃刀の刃』『ニュールンベルグ裁判』など、洋画吹き替えにも多く出演。モンゴメリー・クリフト、ジャン・マレーなどの二枚目俳優を担当した。
 ラジオ公開番組「楽天くらぶ」の司会も務める。またテレビ「私だけが知っている」のナレーターとしても活躍。アニメ「未来少年コナン」のおじい役とヒロイン・ラナの祖父ラオ博士役、「新造人間キャシャーン」東光太郎博士役、「あらいぐまラスカル」ウィラード・ノース役、「無敵鋼人ダイターン3」ドン・ザウサー役、「太陽の牙ダグラム」ナレーター役など、アニメ吹き替えも多くの役をこなした。その他、ゲーム、特撮、人形劇、OVAなど幅広く担当した。
 声優界の草分けとして活躍。声種はハイバリトン。出演本数は2万本以上と言われている。'75 NHK放送業務局長賞、芸術祭賞演劇部門優秀賞を受賞。'77 NHK東京放送劇団を退団後は、Kプロダクションを経て、フリーになる。
 一方、'62 語りの技を体得しようと朗読会を計画。'74 東京の下北沢の喫茶店で初めて朗読会を開き好評を博す。以来、毎月3日連続の朗読の夕べを続け、のち朗読会が開けるレストラン香多理亭を8年間経営した。
 また、言語学者の金田一春彦(9-2-7-29)らと江戸語蒐集のため放送表現教育センターを設立(1974)し代表となる。後進の育成にあたり、ドラマチックリーディングという読み聞かせ方法を提唱した。同センターは日本初の朗読の専門学校としてナレーターや声優の養成所となっていった。傍ら研究生とともに交通遺児育英資金チャリティーを兼ねた朗読の夕べを続け、朗読語芸の修練に励む。'91(H3)俳優生活40年を記念し、研究生らにより朗読話芸の会が企画された。肺がんのため逝去。享年74歳。

<テレビ・タレント人名事典>
<芸能人物事典(日外アソシエーツ)>


墓所

*古い墓石「足立家累代墓」が建つ墓所の左側に「山内雅人」の墓誌碑が建つ。前面「浄幹院釋聲雅 山内雅人 (俗名 山内幹雄) 平成十五年四月七日寂」と刻む。「足立家累代墓」の墓石の左右面に戒名や歿年月日、五代から十二代が刻むが俗名がないため、山内雅人との関係性は不明。裏面「若刻家中」とともに「昭和四年九月三日改葬」と刻む。

※2024年初頭、墓所に行くと更地になっており改葬されました(改葬先は不明)。当HPでは、著名人をきっかけとして歴史を学んでいくということがコンセプトであるため「山内雅人」のページを残すことにします。なお、写真は「多磨霊園」にあった時の写真です。


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