東京出身。日本史学者の山中裕(同墓)は弟。
東京帝国大学卒業。1934(S9)明治生命保険に入社。事務部門勤務から企画課に移った、'37.7.1〜'46.2末までの間、投資方針、資金の配分計画や貸付先、株式、社債銘柄の選定を行う財務調査組織の立案を命じられ、この課題に取り組むと同時に「財界日誌」を毎日書く。その目的は、トップに資産運用についての情報を提供することであり、毎日午前中に書き上げ、トップ六、七名に回覧に供した。'38より財務調査事務担当として財務課に移ったが、日誌は月曜から土曜にかけて毎日引き続き執筆し、財務調査課が'47.7新設され、その初代課長に就任した年の暮まで続けた。この日誌は、1990(H2)『私の戦時財界日誌−歴史の目撃者の記録』にて発刊されている。
戦後は、財務部長などを経て、'49社長に就任。'57会長となった。後に名誉顧問。大型保障保険の増設、個人年金の発売などを手がけ、海外の生保会社に資本参加するなど生保の国際化をはかった。経団連常任理事も務めた。著書に『生命保険金融発展史』がある。肺炎のため逝去。享年94歳。2008.3.10ホテルオークラ東京にて明治安田生命保険社長の松尾憲治の主催にてお別れ会が執り行われた。
*墓石は和型「山中家之墓」。裏面に「昭和十七年二月十二日 山中宏 建之」と刻む。右側に墓誌がある。墓誌には戒名と没年月日しか刻まれていない。戒名は成長院釋浄宏。
*生前、山中は「私は初心忘れるべからずを座右の銘にしている。私の言う初心とは百年前の創業者の志のことである。創業者の精神をみずみずしく持ち続けてこそ、発展の機会がある。」と述べている。
*明治生命保険は1881年に設立した。2001年9月末の保有契約高は124兆6487億円で業界4位。総資産は16兆9011億円。本業のもうけを示す基礎利益は01年3月期で2759億円。従業員数は営業職員を含め3万9196人。2004.1安田生命保険と合併し、明治安田生命保険が発足。保有契約高で業界4位、従業員数は約4万5千人。