歴史が眠る多磨霊園 |
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山本信哉 | |
やまもと のぶき | |
1873.7.19(明治6)〜 1944.12.18(昭和19) | |
大正・昭和時代の国史、神道学者 | |
埋葬場所: 8区 2種 30側 | |
森半平の次男として愛媛県宇和郡立間村(北宇和郡吉田町)で生まれ、同年、同村の山本信成の養子となる。 1889(M22)広島修道学校、1895皇典講究所国学院を卒業後、翌年5月から1914(T3)3月に至る19年間、『古事類苑』編纂助修、編修、出版準備委員、校訂委員主任として、佐藤誠実・松本愛重のもとで同書の完成に尽力した。 '13(T2)10月東京帝国大学史料編纂所史料編纂官補、'25(T14)5月史料編纂官として和田英松のあとをうけ『大日本史料』第一編の編纂に従事し、'36(S11)3月同所停年退官後は同年6月帝国学士院の『帝室制度史』編纂嘱託となり、没するまで『帝室制度史』の編纂にあたった。 その間、'21(T10)11月国学院大学教授となり、'23(T12)4月東京帝国大学から神道史の研究によって文学博士を授与され、日本大学・東京帝国大学などの講師として神道史の研究、啓蒙に努めた。 著書は『惟神の出典と其の新解釈』『神道綱要』『神道要典』など。 <日本近現代人名辞典> *墓石正面「山本家之墓」。裏面は「昭和拾参年戊寅五月拾九日 山本信哉 建之」と刻む。右側に墓誌があり、墓誌には俗名・没年月日・享年七十二才の刻みと共に「文学博士 東京帝国大学 史料編纂官 国学院大学教授」と刻む。前妻は とめ(S4.1.19歿)。後妻は サダ(S56.6.10歿)。同墓には早死した長男の一信、三男の信武の順で刻む。また次男で奈良博物館長・国学院大学客員教授を務めた山本信吉、信吉の妻の柳子(旧姓は佐藤)も眠る。 | |
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