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やまだ うめじろう

山田梅次郎

やまだ うめじろう

1875.5.8(明治8)〜 1941.11.8(昭和16)

昭和期の宗教家(おうかんみち教祖)

埋葬場所: 6区 1種 5側 1番

 愛知県海部郡蟹江町出身。御神号を根株甘露台。農業を営む山田林吉・冨美の四男として生まれる。 8歳の時に父が没し、母は目を患い全盲となる。幼い頃から兄を助け家の仕事を手伝った。
 1899(M32)臀部に腫れ物ができ天理教に入信。下駄、鍋蓋製造業を営むかたわら、天理教校別科を修了し、のちに権少講義になる。 '12.10.23(T1)38歳の時、初めて神意を感得する(天の将軍月日大神の神がかりを教えとして大天啓者となる)。 '25天理研究会に入会し、'28(S3)『研究資料』を配布し検挙、起訴猶予処分となる。その後、天理三輪講、天理神の打開場所に入信。 '31天啓を受け、石の甘露台を造っている。'36(S11).1.11天啓により梅次郎は、天理教教祖中山みきの夫、善兵衛の生まれ替わりとして、天啓者・人間甘露台であると自覚に至り、「甘露水(神種)授け」という救済の秘儀を始める。 同時に当時の天理教内部では少なくとも公式的には廃止されていた「扇の授け(伺い)」「息の授け」を復活させている。 特にこの「扇の伺い」による天啓のなかには、国体の変革や理想世界実現に触れたもの、また敗戦や天変地異の予言ともとれるものも含まれている。
 '37(S12東京・奈良・長野でも「甘露水授け」を行い、一年余りの活動で組織が整い、名古屋市内の自宅にて、12月23日に十天上王神月日大神の天降りを受け、天理神の口明場所 おうかんみち教を立教した。 地上的人間的顕現として親神の社となる。世界丸輪の大義を世に顕示し、神人合一、甘露合世界達設の大望事情を打ち出した。 しかし、'38.11.21治安維持法違反で検挙される。'39一時保釈となるが、翌年、懲役5年の実刑判決を受け控訴。 '41控訴審で懲役2年執行猶予4年の判決となるが、同年死去した。享年67歳。

<宗教家人名事典>
<墓所内碑より>


霊廟 墓地

*墓所入口に「宗教法人おうかんみち霊廟」の碑が建ち、入口すぐ右側に山田梅次郎の碑、その奥に江上寿胤の碑が建つ。 墓石は三基並び、真ん中が「根株甘露台」と刻む山田梅次郎の墓、右側が「ひょうたんの木甘露台」と刻む江上寿胤(江上庚之助)の墓、左側は江上家の墓である。

*「おうかんみち」とは、人間が見つけたみちではなく、元親神様が直々にお付けになった名称。道に例えると、大勢の人々が共に歩める広く大きな道を現し、全人類が心勇んで歩む道という意味である。 御祭神は、宇宙を支配する元親神様「十天上王神」、人間創造人間魂の産み親神「月日玉神」、人間肉体の産み親神「岐美王神」であり、『三社三棟の親神様』と称している。 この世の形が定まっていない遠い昔に、神が人間を創ったという概念から、神は生みの親であり、全人類は全て神の子供という思想である。 神は生みの親であり、育ての親という考えから、子供である人間の悩みと魂を救うために、教祖の甘露台を通し、天の食物「甘露水」を授けたというのが原点。 この甘露水を頂くと入込社となり、胸内に親神が宿り、心を育ててくれるというのが特色となっている。

*「天啓」とは天の神が真理を人間に示すこと。天の啓示。


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