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やまだ こうじ

山田浩二

やまだ こうじ

1887.1.29(明治20)〜 1941.9.16(昭和16)

大正・昭和期のビリヤード(撞球技名人)

埋葬場所: 19区 1種 6側

 東京出身。1910(M43)22歳の時にドイツに渡り、撞球(どうきゅう:ビリヤード)を修業。'13(T2)アメリカに招待され、ニューヨークで開催された世界ボークライン選手権に出場し、7年間無敗だったウィリアム・ホッペ(アメリカ)や、ジャン・ブルノー(オーストリア)を破り、3位になる偉業を成し遂げた。
 帰国後、東京の丸ビルに撞球場を開設して、ボークラインの普及、後進の指導にあたる。'34(S9)『最新撞球術』刊行。'41(S16)初代の撞球名人位を贈られたが、同年急逝。享年54歳。

<講談社日本人名大辞典など>


墓所

*墓石は和型「山田家之墓」。左側に墓誌がある。戒名は浩然院達堂玄球居士。



【ビリヤードの歴史】
1850年代江戸末期 長崎出島に来たオランダ人がポケットビリヤードを持ち込む。
1871年東京で最初のビリヤード場「精養軒」が開店。
1877年国産のビリヤード・テーブルが初めて製作される。
1893年海外から帰国した郷誠之助、玉野一熊が三つ球やボークラインを伝え、普及させた。
1913年米国でボークライン選手権大会が開催。山田浩二が招待され、7年間無敗であった米国人のウィリー・ホッペを破り、初出場で3位になる偉業を成す(優勝はホッペ)。
1918年門司で第1回東洋三ツ球選手権が開催される。
1925年日本撞球協会設立。
1926年日本で第1回ボークライン選手権大会が開催。
1937年松山金嶺(26-1-17-5)がアメリカから帰国し、スリークッションを広める。
1938年第1回全日本スリークッション選手権大会が開催。優勝は松山金嶺。

*「ボークライン」とは、アンカーの区切り線の意味。キャロムビリヤードのひとつ。穴の空いていない台を用いるゲームで、手球(プレーヤーが撞く球)一つと的球二つを用いる三つ球競技。テーブルを正方形の領域(アンカー)で6つに区切り、同じアンカーに的球が2つ入っている場合は1回目もしくは2回目のショットで的球のどちらかを別の領域に移動させなければならない制限がある。日本では大正時代に流行した。
 「スリークッション」も穴の空いていない台を用い、三つ球を使用、二つ目の的球に手球が当たるまでに、手球を3回以上クッション(壁)に入れるのが基本ルール。ちなみに、現在、多く目にするビリヤードは台に穴が空いていて、色とりどりの球をその穴に落とす「ポケット」「プール」と呼ばれているものが一般的。

*ハスラーという言葉は日本ではビリヤードを行う者を指す場合が多いが、本来は賭け事において実力を隠し相手から大金をせしめる者のことを指し、実際のビリヤードプレイヤーに対してはハスラーという言葉は使わない。


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