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わたなべ たかし

渡部 尚

わたなべ たかし

1896.8.3(明治29)〜 ?

大正・昭和期の実業家
(高圧活線作業用絶縁具)

埋葬場所: 13区 1種 2側

 福島県会津本郷出身。陶芸家の渡部利四郎・ゆうの7男として生まれる。幼くして上京し、岩淵電気工業に入社。電気産業界に入った。
 1929(S4)7月電気機器・高圧絶縁材料の販売を目的とした合名会社渡部電気商会を西銀座に設立し代表となる。 '32高圧活線作業用絶縁保護具防具等を完成。アサヒの商品名を以て製造販売を開始した。同年鉄道省指定業者となる。 '38業務拡張のため、電気土木工事請負業合資会社尚木組工業所の業務一切を統合して渡部工業株式会社へ組織変更し、代表取締役に就任。 ガソリンホース等の販売を開始した。'40航空機用給油ホースを完成させ、中島知久平(9-1-2-3)を代表とする中島飛行機・中島金属の協力工場として給油ホースの他航空機用精密機器を製造販売した。 戦後は、配電型ゴムシールドを完成させ、関東配電並びに各配電会社の指定業者や米軍横浜技術廠の指定業者となり電気機器各種電装品を製造納入した。 また、しゅんせつ船用ジョイントスリーブ等の製造、高圧絶縁の技術と研究(国産第1号としてアサヒ電気用ゴム手袋〔シームレス曲指型〕の製造などに成功し事業を拡大した。
 一貫して高圧活線作業用絶縁具の発明と製品化に努め、その功績により、東京都知事賞、発明協会特賞、日本電気協会渋沢賞、全国学士会アカデミア賞を受けた。 また'68勲五等に叙せられ、雙光旭日章を賜った。'67紺綬褒章。福島県人会副会長、財団法人福島県学生寮監事、会津会相談役、本郷会会長を歴任した。 事業の傍ら、郷土産業の発展を願い、郷土出身者と共に新会津木材株式会社を設立した。

<顕彰碑などより>


墓所

*墓石は洋型「渡部家」。墓所内に渡部尚翁顕彰碑が建つ。これは渡部工業株式会社創立40周年を記念して'69に建立されたものである。


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