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わたなべ かずこ

渡邉和子

わたなべ かずこ

1927.2.11(昭和2)〜 2016.12.30(平成28)

昭和・平成期のキリスト教カトリック修道女、教育者

埋葬場所: 12区 1種 10側 15番

 北海道旭川市出身。後の陸軍大将の渡邉錠太郎(同墓)が陸軍中将時代の旭川第7師団長であった時の子。4人兄姉の末っ子の次女。修道女名はシスター・セント・ジョン。
1936.2.26(S11)成蹊小学校3年生で9歳の時に2・26事件に遭遇。午前6時前、和室の布団で父と寝ているとき激しい怒号を聞き起きる。その直前に内大臣であった斎藤実(7-1-2-16)を殺害した青年将校と部下の兵士の一団約30人は、東京・荻窪の渡邉家の前にトラックで乗り付け門を開けようとしていた。茶の間の方から青年将校2人(高橋太郎少尉と安田優少尉)と兵士が数人入ってきて、大将で教育総監であった父の渡邉錠太郎に43発の弾を撃ち込み殺害した。座卓の影で身を隠し兵士が去った後、「お父様」と呼ぶが事切れていた。身を隠していた座卓にも銃弾の跡が残っており堅牢な座卓だったもので貫通しなかった。2008(H18)2・26事件の現場となった荻窪の自宅は取り壊され、身を隠していた座卓などは杉並区に寄贈された。
 生家は浄土真宗であったが、母は父を失った娘の将来を悲観してキリスト教(カトリック)の雙葉高等女学校に入学させる。献身的な修道女の姿に感銘を受け、'45(S20)18歳の時に母の反対を押し切り洗礼を受けた。'51聖心女子大学に通いながら上智大学で文書作成のアルバイトをし、'54上智大学大学院西洋文化研究科修士課程修了。'56 29歳でナミュール・ノートルダム修道女会に入会。アメリカに留学し、'62.6ボストンカレッジ大学院で博士号(哲学)を取得したのち、同.9 ノートルダム清心女子大学教授となる。'63 36歳の若さで岡山県のノートルダム清心女子大学の学長に就任(1990退任)。長年にわたり教壇に立ち学生の心を支え指導した。
 この間、'74岡山県文化賞(学術部門)を受賞。'77うつ病を患うも復活し、'79山陽新聞賞(教育功労)、岡山県社会福祉協議会より済世賞を受賞。'84マザー・テレサが来日した際には通訳を務めるなど親交もあった。'86ソロプチミスト日本財団より千嘉代子賞を受賞。'89(H1)三木記念賞を受賞。'90学長を退任し、ノートルダム清心女子大学名誉学長、ノートルダム清心学園理事長に就任した。'92〜2001日本カトリック学校連合会理事長。'96カルカッタの修道会本部を訪れる。2015広島大学のペスタロッチ賞を受賞。2016春の叙勲で旭日中綬章を受章。
 2012幻冬舎から刊行した『置かれた場所で咲きなさい』は200万部を超えるベストセラーとなった。このタイトルに和子はこのように応えている。「自信を喪失し、修道院を出ようかとまで思いつめた私に、一人の宣教師が一つの短い英語の詩を渡してくれました。その詩の冒頭の一行、それが『置かれたところで咲きなさい』という言葉だったのです」。主な著書に『信じる「愛」を持っていますか』(1981)、『心に愛がなければ』(1986)、『現代の忘れもの』(1989)、『愛をこめて生きる』(1989)、『愛することは許されること』(1999)、『目に見えないけれど大切なもの』(2003)、『愛と励ましの言葉366日』(2004)、『忘れかけていた大切なこと』(2005)、『「ひと」として大切なこと』(2005)、『愛と祈りで子どもは育つ』(2006)、『美しい人に』(2008)、『幸せのありか』(2009)、『スミレのように踏まれて香る』(2012年)、『面倒だから、しよう』(2013)、『幸せはあなたの心が決める』(2015)、共著に『人は死ぬとき何を思うのか』(大津秀一、石飛幸三、青木新門、山折哲雄 2014)、訳書に『マザー・テレサ 愛と祈りのことば』(マザー・テレサ編、ホセ・ルイス・ゴンザレス・バラド編)がある。
 「汝の敵を愛せよ」と説くキリスト教の修道女だが、実際には強い抵抗があった。講演では2・26事件の加害者の家族と和解する「赦し」への葛藤も語っていた。数年前から膵臓がんを患い闘病の傍ら仕事も続け、「生涯現役」をモットーに2016.9.30まで大学の講義に立っていたほか、メディアの取材なども受けていた。膵臓がんにより逝去。享年89歳。
 生涯独身を貫いているシスターである。2017.1.12学園葬が岡山市の岡山国際ホテルで行われた。学園葬は追悼ミサとお別れの会の2部構成であり、同学園の卒業生をはじめ、財界、各宗教界から約3500人が参列した。式には2・26事件で父にとどめを刺したとされる青年将校の弟、安田善三郎(91歳)も出席し献花をした。安田善三郎は事件から50年後の1986、青年将校らの法要に渡邉和子が初めて訪れた時、偶然案内をすることになり涙ながらに謝罪。その後、手紙などを通して交流が始まり、和子が関東で講演で来る際は安田宅を訪れ食事を共にした。1991安田善三郎は神奈川県内のカトリック教会で受洗した。

<図説2・26事件>
<各著書略歴>
<各訃報記事など>


墓所

*墓石は和型「陸軍大将渡邉錠太郎之墓」。裏面は「昭和十一年六月 渡邉誠一建之」と刻む。墓石右手前に「護国偉材」と題された「陸軍大将渡邉錠太郎君碑」が建つ。墓石左側に墓誌が建ち、シスターセントジョン和子と刻む。


【渡邉和子 格言】
時間の使い方は命の使い方ですよ

世界の人口を100人の割合で考えると、高等教育を受けたくても受けられる人はわずかに1人。だから、置かれた場所で咲くという気持ちを忘れず、自分が今できることを一生懸命励みましょう

ほほえむことを忘れた人たちに、ほほえみを惜しまずに与えましょう。「あなたは1人ぼっちでない」というメッセージを発信し続けましょう。ほほえみには、マジックのような力があります。与えられた人を豊かにしながら、与える人は何も失わない ― それがほほえみなのです

ほほえみには、私たちの心の中にある目には見えない愛を、目に見える形にして相手に伝えるコミュニケーションの役割があるといえます

「今」をたいせつにして生きないと、花は開かない。「今」をいい加減に生きると、次の瞬間もいい加減なものとなり、いい加減な一生しか送れないことになってしまうのかも知れない

「今」という瞬間を意識して生きたいと思う。「今の心」と書くと「念」という字になると気づいた時、「念ずれば花開く」という言葉の意味がわかるように思ったものです

心の美しさは、自分の心との戦いによってのみ得られる

大切なものは目に見えない。肝心なことは心の目で見なくちゃ見えないんだ

私は木を切るのに忙しくて、斧を見る暇がなかった。大切なのは「人のために進んで何かをする」こと。「人に迷惑をかけない」からもう一歩進んで、「手を差し伸べる」気持ちが愛の実践につながる

信頼は98%。あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておく

いのちは大切だ。と、言われるより、あなたが大切だ。と、言われた方が生きてゆける

この世に「雑用」という用はありません。私たちが用を雑にした時に、雑用が生まれます

目立たない仕事をしている人へのあいさつを忘れてはいけない。私たちはお互いに「おかげさま」で生きているのだから

「3つの化粧品」
 1. いつもにっこり笑うこと。
 2. 人の身になって思うこと。
 3. 自分の顔を恥じないこと。
 この「3つの化粧品」は、お金が要らない、使っても減らない、使えば使うほど質がよくなる、どこへでも持っていける、そしてアンチエイジング、つまり、年を取らないためにとても大事な「化粧品」だと思います。

<渡辺和子名言集>


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