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わだ よしひら

和田嘉衡

わだ よしひら

1861(文久1.8)〜 1945.3.25(昭和20)

明治・大正・昭和期の実業家(東京計器)

埋葬場所: 1区 1種 6側

 東京出身。父は通称を佐平、号を岡南とした和田義章(M29没 同墓)。
 1896.5.1(M29)東京小石川に日本初の計器メーカーの和田計器製作所(長野計器)を創設。我が国初の圧力計の作成に成功。 なお、弾性圧力計の発明はこの時から50年前にフランス人のE・ブルドンが発明したのが最初である。当時、「Mesuring Instrument」に該当する日本語がなかったため、『計器』という造語に翻訳し、圧力計の国産第1号を世に送り出した。
 主に羅針儀(磁気コンパス)など航海計器を製作し、海軍指定工場となる。制作した羅針儀が旗艦「三笠」に搭載された。 その後、測深儀、航海機器、航空計器とその分野を広げていった。三島徳七(3-1-14-1)の発明による永久磁石鋼の製造も行った。 '17(T6)日本光学工業株式会社設立に携わる。
 1902 合名会社東京計器製作所を設立し、'17(T6) 株式会社東京計器製作所に改組し社長に就任。光学部門の発展に備えて光学計器部門を分離独立させて、三菱合資会社と共同で日本光学工業株式会社(ニコン)を設立し取締役に就任。'23 他社に先駆けて航空計器の研究を開始し、'26 日本最初の船舶用オートパイロット、火災探知・消火装置の製作に成功。'37(S12)航空部門の発展に備えて東京航空計器株式会社を設立した。他に東洋酸素の取締役や、八洲商會の取締役を務めた。享年85歳。息子の和田重雄(同墓)も同じ計器畑を歩んだ実業家である。

<人事興信録>
<東京計器株式会社沿革など>


墓所1 墓所2

*和田計器製作所の商号は、1902(M35)合名会社東京計器製作所、'17(T6)株式会社東京計器製作所に改組、'48株式会社東京計器製造所、'70株式会社東京計器、'90.9.1(H2)株式会社トキメック、2008.10.1東京計器株式会社に商号を戻し現在に至る。

*墓所には3基同じ大きさの墓が建つ。入り口正面「和田嘉衡 / 和田馨香 墓」、裏面は嘉衡と馨香の俗名と歿年月日、享年が刻む。墓所左手側「和田義章 / 和田きく子 墓」、裏面に義章ときく子の俗名と歿年月日が刻む。義章には「通称 佐平、号 岡南」とも刻む。墓所右手側「和田家之墓」。裏面は墓誌となっており、重雄らの俗名と歿年月日、享年が刻む。


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