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わだ せいき

和田正幾

わだ せいき

1859(安政6.9.6)〜 1933.4.23(昭和8)

明治・大正期の教育者、英学者

埋葬場所: 区 種 側 番

 江戸本所にて幕臣の末子として生まれる。大政奉還後、父に従って沼津に移住して少年期を過ごした。江原素六の世話で旧幕臣の和田茂の養子となる。 上京して開成学校の官費生となり、化学を修めたが、17歳のときコクランから受洗し、伝道者になる決意を固め、同志社神学校に移った。 一年間、新島襄の薫陶を受けるが、健康上の理由で退学し、群馬県安中で静養中、安中や前橋で伝道に従事。この伝道を通して、伝道には不向きであることを覚り、1881(M14)上京して耕教学舎で数学・物理・化学・英語を教えた。
 弱冠23歳にして、元良(杉田)勇次郎と共に耕教学舎の運営責任者に抜擢される。耕教学舎は東京英学校となり、1882(M15)美會神学校と合同し、更に翌年9月には青山の地に移転し、校名を東京英和学校に改めた(後の青山学院)。校名改称後も引き続き教授を続けた。
 東京英和学校で教鞭をとる傍ら、一時、第一高等学校でも教え、その学識の高さには、斎藤秀三郎(2-1-4-4)や夏目漱石も敬服していたと伝えられている。

<近代日本の教育とキリスト教(6)平沢信康>
<青山学院大学礼拝週報(2011.9.19 No.15)>


 


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