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つすえ あきお

津末昭生

つすえ あきお

1928.9.24(昭和3)〜 1995.6.10(平成7)

昭和・平成期の地質学者、地球科学者

埋葬場所: 7区 1種 4側

 東京出身。祖父は政治家の津末良介(同墓)。父は銀行家の津末宗一、えい(共に同墓)の長男。弟の弘世酉二は母方に養子となり菱華産業社長を務めた。
 成蹊高等学校を経て、1954 東京大学理学部地学科卒業。大学院に進み、鉱床学の渡辺武男を師事。'60 博士課程修了。「岩手県釜石鉱山地方の接触交代型鉄、銅鉱床について」で理学博士。
 理学部地質学教室の助手となり、アメリカのコロンビア大学やプリンストン大学に留学。初期の研究のテーマは、釜石鉱山のスカルン鉱床を題材とした物質移動の熱力学的研究を行う。プリンストン大学で地球化学者の H.D. ホランドと炭酸塩鉱物に入る陽イオンの熱水・鉱物間での分配を研究した。
 '63 帰国し復職。'70 熊本大学理学部助教授を経て、'73 教授になる。'90~'92 理学部長を務める。'94(H6)停年退官し名誉教授。
 地質調査所の石原舜三と共に、日本の花崗岩に微量に存在する不透明鉱物について詳細な調査を行う。花崗岩はその中に微量の磁鉄鉱が含まれるか否かで二大別できることを見出し、花崗岩岩石学に大きく貢献した。鉱床の生成温度の研究なども行った。享年66歳。

<石原舜三「津末昭生氏の逝去を悼む」>
<人事興信録>


*墓石前面「津末家墓」、裏面「昭和七年 良介 建之」。右側に墓誌が建つ。津末昭生の戒名は碩德院昭道玄生居士。

*祖父の津末良介の長男が父の津末宗一(H1.9.5歿・88才:同墓)で、三菱銀行に勤めた銀行家、菱華産業社長、証券団体協議会常任委員長などを務めた。宗一の妻で母は弘世保三郎の長女の えひ(英子:H9.1.17歿・89才:同墓)。昭生は長男。二男で弟の酉二(1933-2019.3.25)は母方の弘世家に養子となった。弘世酉二は父と同じ三菱銀行に入り、菱華産業に移って社長を務めた。なお、酉二の妻の道子の祖父は堤定次郎(4-1-31-8)、堤直温の長女。

*祖父の津末良介は「津末」のヨミを「つのすえ」としているが、津末昭生は「つすえ」としている。


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