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つるた まさとく

鶴田政徳

つるた まさとく

1856(安政3.1)〜 1924.6.25(大正13)

明治期の陸軍軍人(少将)

埋葬場所: 9区 2種 10側 27番

 筑後国柳川(福岡県)出身。筑後柳川藩士の子に生まれる。弟に海軍軍医中将の鶴田鹿吉(同墓)がいる。
 草創。1877.9.6(M10)砲兵少尉に任官し、砲兵第1方面本署署員となる。1895.9.6兼務し砲兵会議議員。大尉時代は議事務官、教授を兼任し造兵学を担任した。
 1900.10.30築城部員、'03.5.1日露戦争時は技術審査部審査官を務めた。同.11.18休職。'04.3.10砲兵大佐となる。'07.11.13広島湾要塞司令官に就任。'08.12.21少将に進級した。'10.11.30休職。'11.10.5予備となった。

<帝国陸軍将軍総覧>
<日本陸軍将官総覧>


墓所

*墓所には四基。正面右から「海軍軍醫中将 鶴田鹿吉 / 室 ヒサ 之墓」、真ん中「陸軍少将 鶴田政徳 / 妻 トモ 之墓」、左が「鶴田家之墓」。左手側に古い墓。

鶴田政徳の墓石の裏面は「政徳 大正十三年六月二十五日歿 / トモ 昭和十七年四月二十五日歿」。左面は「鶴田政以 辰雄 菊 勝 セキ 昭和三十七年一月 青山墓地より改葬」と刻む。鶴田鹿吉の墓石の裏面は「昭和十三年三月 鶴田四郎 建之」。左面に「青山墓地より改葬」と刻み、鹿吉からの墓誌となっている。鶴田家の墓石の裏面は「昭和三十一年十月 鶴田睦雄 建之」と刻む。


※政徳の「徳」は、十四と心の間に「一」が入る旧字体が正しいが、ここでは「徳」を使う。


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