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つむら ひでお

津村秀夫

つむら ひでお

1907.8.15(明治40)〜 1985.8.12(昭和60)

昭和期の映画評論家

埋葬場所: 8区 1種 2側

 神戸市出身。弟に詩人の津村信夫(同墓)。長男は俳優の津村鷹志。七高を経て、1931(S6)東北大卒。朝日新聞社に入社、'32年9月から同紙の映画批評欄を担当する。
 それまでの映画批評が、趣味的な傾向か、イデオロギー的な傾向かのどちらかに大別されるものだったのに対して、当時の社会人の常識の立場から映画の知的水準の低さを一刀両断に痛罵する批評を書いてしばしば映画会社や映画人を相手に論争し、大きな反響を呼んだ。 また文学的な味わいを持つ批評集『映画と批評』(39年)などの著作で、映画批評を映画ファン以外の一般知識人も興味をもって読むものにし、戦時下の主導的な映画批評家となったが、戦後も『週刊朝日』など影響力の大きな場で執筆を続けた。 戦後の著書では『溝口健二というおのこ』(58年)その他多数がある。

<現代日本朝日人物事典>
<五輪塔様より情報提供>


※2020年代前より津村家墓所地が墓じまい若しくは改葬されたのではないかという情報を受けており、2022年多磨霊園より確実になくなったことが確認できました。「歴史が眠る多磨霊園」では、掲載したことをご縁と思い、歴史を学ぶきっかけを多くの方々に提供する目的であるため、このページをこのまま掲載し続けることとします。


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