江戸(東京)出身。旧幕臣土子豊憲の次男。1884(M17)東京帝国大学文学部政治理財科を卒業し、大蔵省に出仕。次いで東京高等商業学校教授(早稲田大学教授)となる。
1889経済学研究のため欧米に留学し、ニューヨーク外国銀行で銀行実施・銀行業務を研究。1891帰国後、日本銀行横浜正金銀行に勤務、1897以降は、自らの学問を生かすべく横浜火災海上運送、横浜生命保険の創立に参画し副社長となった。また国家学会の運営に尽力した。
1908法学博士会の推薦により法学博士の学位を授与された。経済学の知識を実践に移した実業家として活動していたが、病気のため、1914(T3)両社を辞した。
主な著書に『経済学大意』『外国為替詳解』『財論』『外国貿易論』『銀行論』などがある。他に日本最初の笑い学研究である『洒落哲学』がある。享年53歳。
*墓石は二基建ち、正面和型「土子家之墓」、右に「法學博士 土子金四郎 墓」、左側に墓誌が建つ。土子金四郎の墓石の裏面も墓誌となっているが俗名はなく、戒名と没年月日のみである。
戒名は真徳院精譽勇進居士。没年月日、行年54才と刻む。妻は登久子(1875-19351)。
*妻の登久子の父は海軍中将・男爵の赤松則良。姉の登志子は森鴎外の最初の妻である。登志子が18歳の1889.3.6森鴎外に嫁ぎ、翌.9.13於菟を生んだ後、11.27離縁された。
*娘の佐久は越後出身の医家の長谷川駒八に嫁ぐ。二人の子の長谷川興蔵は平凡社に勤めた出版人。息子の土子恕一、妻の菊代。孫、税理士の土子加寿夫、海上電気株式会社常務や沿岸海洋株式会社会長を務め海洋超音波計測器等の発明製造に携わった土子良治らも眠る。
*土子金四郎の甥にあたる土子猛(3-1-33)の妻は児童文学作家の岸なみ(3-1-33)。