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とうやま あきみち

當山亮道

とうやま あきみち

1865(慶應1)〜 1936.1.17(昭和11)

明治・大正・昭和期の神職、平安神宮宮司

埋葬場所: 21区 1種 19側

 新潟県新屋敷出身。苗字は「当山」とも書く。神職となり、神宮教、神宮奉斎会新潟本部長、皇典研究所の要職を経て各地の官国幣社宮司を歴任。明治政府は当時、国家神道の基盤を整えるため全国に官国幣社を定めてそこへ宮司を派遣していた。
 1907.4.25(M40)岩手県水沢の国幣小社の駒形神社の宮司として着任。駒形神社から歩いて5分のところに水沢緯度観測所(国立天文台水沢VLBI観測所)があり、所長を務めていた天文学者の木村栄(23-1-22-7)と交流を深め、共に宝生流謡曲の会「水沢宝生会」を設立すると、その初代会長に就任した。
 その後、'10.12.28 函館八幡宮宮司、'20.5.26(T9)三島神社宮司を経て、'25.2.12 京都市左京区にある神社「平安神宮」の第7代 平安神宮宮司に就任。著書に『古事記通解』『神勅勅語解義』などがある。平安神宮宮司在任中に逝去。従4位。享年70歳。

<官幣大社平安神宮宮司 當山亮道氏逝く>
<神社史の研究>
<「臨時緯度観測所初代所長・木村栄と水沢宝生会」馬場幸栄>


*墓石前面「當山亮道家奥津城」、裏面「昭和十一年九月 當山弘道 建之」。左側に墓誌が建つ。當山亮道には「平安神宮々司 従四位」と刻む。妻はヨシ(S22.3.17歿・享年73歳)。同墓所には長男の弘道、三男の有道、四男の佐道の家族も眠る。長男の當山弘道には「陸軍中将 勲二等」。妻は冨貴(S19.1.23歿・享年47歳)。三男の當山有道(S61.11.13歿・享年75)には「芦森工業顧問」と刻む。四男の當山佐道(H5.4.6歿・享年78)には「神職」と刻む。

*「水沢宝生会」は能楽のサークル(一種の社交サロン)として始まったが、現在は能楽シテ方宝生流の公式団体「公益社団法人宝生会」に発展。なお、當山亮道の息子である當山俊道、孫である興道と孝道、ひ孫の淳司は、宝生流シテ方の能楽師として活躍。


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