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とのはら すがこ

戸野原須賀子

とのはら すがこ

1915.8.3(大正4)〜 2017.4.29(平成29)

昭和・平成期の教育者

埋葬場所: 4区 1種 28側

 川崎出身。旧姓は清宮。1936(S11)実践女子専門学校(実践女子大学の前身)技芸科卒業。技芸科助手となる。同.10 創設者の下田歌子が逝去。川崎市立向丘青年学校教諭を経て、母校の技芸科助教授をつとめる。
 戦後、'45.11 藤井甚太郎(3-2-41)が文部省の資料編纂の職を退官し、実践女子専門学校教授に就任。実践女子専門学校、実践高等女学校、実践第二高等女学校の校長や第3代桜同窓会会長にも就任。須賀子は、民生委員、横浜家庭裁判所家事調停委員保険司、人権委員などを歴任した。
 '80.5 第4代(通算第8代)桜同窓会理事長に就任(〜'84.4)。'90(H2)まで実践女子学園評議員を務めた。'87 勲5等瑞宝章。2001実践桜会100周年記念表彰。2004 実践女子学園より特別功労賞授与。2005戸野原須賀子奨学金規定を実践女子学園にて施行。享年101歳。2017.9.7 一般社団法人教育文化振興実践桜会主催により、偲ぶ会が渋谷の実践桜会会館にて開催された。

<実践技芸科会だより 第47号最終号>


*墓石正面「戸野原家之墓」。右側に「戸野原家先祖代々之供養塔」、裏面「平成十八年九月吉日 戸野原須賀子 建之」。左側に墓誌が建つ。須賀子のところには「勲五等 瑞寶章」と刻み、戒名は慈慧院釋須峯。また墓所入口に「平成二年十月吉日 戸野原健児 墓所改修す」と刻む石板が建つ。

*同墓には明治期の医家の戸野原本之、慶應医大の医学博士の戸野原健児、国家学などの著書や翻訳を多く出版した戸野原史朗らも眠る。


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