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とみざわ みつる

冨澤 充

とみざわ みつる

1879(明治12)〜 1942.2.13(昭和17)

明治・大正・昭和期の大蔵官僚

埋葬場所: 12区 1種 2側

 愛媛県宇和島市出身。父は宇和島藩士の冨澤松湾の二男として生まれる。長男で兄の冨澤岩生は医師。
 東京専門学校行政科(早稲田大学)卒業。文官高等試験と弁護士試験に合格。大蔵省入省。名古屋地方専売局長、東京地方専売局長、東亜煙草専務を歴任。正4位 勲3等。享年62歳。

<人事興信録>


墓所

*墓石は和型「富澤家之墓」、裏面「昭和十七年七月 始祖正四位勲三等 富澤充 妻とみ 建之」と刻む。右側に墓誌があり、充の戒名は海光院殿和薫充徳居士。墓誌には64歳と刻む。妻は永田清三郎の娘のとみ(同墓)。妻の兄の永田甚之助は武州銀行頭取。長男の冨澤龍雄(1910-1965.5.27 同墓)は京都帝国大学を卒業し、日本興業銀行に勤めた銀行家。龍雄の妻は大蔵省官僚の岡雅枝(15-1-8)の二女の信子(H27.5.18歿・96才 同墓)。二男は岳雄(1915-1952.11.4 同墓)は慶応大学卒業後に三井銀行に勤めた銀行家。なお、娘たちは長女の萱野は原武に嫁ぐ。二女の瀧子は寺島道彦に嫁ぐ。三女の元は大石敬二に嫁ぐ。


※墓石等では「富田」となっているが、戸籍では「冨田」となっており、正式には「冨田」が正しい。 ワ冠の「冨」は俗字だとの事で、国の文書(例えば、叙位叙勲の場合等)では、「富」に直ります。 ある辞典では日本一の富士山にあやかろうと、富の字を選ぶとき、つつましく謙虚にというところから、一角減じ、ウ冠の富としたと有るそうです。

<「富・冨に関して」冨田毅郎の孫の冨田幸宏氏からの情報提供>


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