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とくえ とく

徳江 徳

とくえ とく

1903.3.4(明治36)〜 1992.11.25(平成4)

昭和期の機械工学者

埋葬場所: 2区 1種 10側

 宮城県出身。1929(S4)東京帝国大学工学部機械工学科卒業。学生の頃はラグビー選手として活躍し、その後も、茨城大学教授を務める傍ら、ラグビー部の部歌を詞曲した。 茨城大学第5代学長('68.12.26-'69.11.18)。後に日本大学工学部教授。工学博士。'73勲三等旭日中綬章。著書に『機械製図』など。急性心不全にて逝去。享年89歳。

<現代物故者事典1991‐1993>


*墓石は和型「徳江家之墓」。右側に墓誌がある。戒名は浄明院釋實徳居士。俗名、行年、没年月日が刻む。墓誌の裏面には、「西大條花子納骨の記」が刻む。 西大條花子(1883-1911.10.12)は徳江徳の妻の徳江文子(1910-1999.4.9)の実母である。文子の父は水道設備に従事した西大條覚であり、先妻が西大條花子で28歳の若さで没している。1979.4.11西大條花子の遺骨をこの地に改葬した旨が刻む。


西大條覚 にしおおえだ さとる
1880.2.16(明治13)〜?
大正・昭和期の水道技師
 宮城県出身。1905(M38)東京帝国大学工科大学土木工学科卒業。東京市に入り、水道課、水道浄水場などに勤務した後、'13(T2)から1年間、水道施設の調査と実況視察のため欧米各国へ出張。 '18臨時水道拡張課長、その後、都市計画地方・中央委員会技師、兼任の内務、宮内技師。'22管制改正により専任内務技師となり、'23都市計画局第一技術課長、同年、兼任の鉄道技師、'25本官および兼官を辞した。 '25から'28(S3)まで東京府荒玉水道町村組合技師長を務め、野方配水塔の施工などに尽力。その後は水道の技術顧問として、半田、岐阜、岡崎、豊橋、甲府の各市をはじめ、玉川水道会社、南洋庁などに関わった。工学博士。

<土木人物事典>


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