京都出身。号を倉琅子。浮世絵の研究として著名な田中喜作は実弟。 東京帝国大学卒業。在学中に中国文学を専攻し、のち東洋美術史に転じ、雑誌「国華」の編集に従事。1921(T10)以来、慶応大学・東京美術学校(東京芸大)で美術史を講じ、'28(S3)京城帝国大学教授となった。 戦後は、文部省美術研究所長となり、東京都美術館長も兼ねた。田中倉琅子の名で美術評論家としても活躍。没後にまとめられて刊行された著書に、『東洋美術談叢』(1949)、『天平彫刻』(共著・1954)、『日本美術の研究』(1960)などがある。享年67歳。
<コンサイス日本人名事典><講談社人名大辞典など>
*墓石は洋型「田中豊蔵 / 同 儀一 / 同 恵 墓」。右側に洋型「新海悟郎 / 同 巌 墓」、並んで洋型「詫摩家」(カロートが墓誌となり詫摩武英が刻む)。 推測するに、田中豊蔵の嫡男であった田中儀一が早死してしまったため、娘の巌の夫である新海悟郎が墓所を継ぎ、次いで、その娘が嫁いだ詫摩家が継いだと思われる。 *同墓所内に眠る新海悟郎(同墓)は戦前戦後の住宅事情を研究した建築研究家。詫摩武英(たくま たけひで 1931-2010.8.14 同墓)は日本国際医学協会名誉会員で東京都立大学名誉教授(心理学)である。
新海悟郎