佐賀県佐賀市出身。父の田中德次郎、たか(共に同墓)長男であり、父が九州電灯鉄道の常務取締役として活動していた時に誕生した。従兄弟に洋画家の佐分眞(12-1-5)がいる。
1934(S9)慶應義塾大学法学部政治学科卒業。前年に父は亡くなっていたが、父が重役を務めていた東邦電力に入社。福岡支店電車課へ配属となり路面電車の運転士となる。'42 東邦電力の解散に伴い中部配電に移動。海軍少将の高木惣吉の肝いりで創設された、海軍省調査課に民間人ブレーントラストとして嘱託。'45 静岡支店営業係長をしている時に終戦を迎える。
'52 電力再編成後の中部電力で東京支社総務課長に就任。'72 取締役副社長に就任。'73 藍綬褒章。'77 中部電力 第4代 社長に就任した。社長就任後、オイルショックなどの時代背景もあり、脱石油戦略と中電行革を宣言して、原子力、石炭火力、揚水発電を促進し、石油の比率を大幅に引き下げた。'82 第7代 中部経済連合会会長に就任。翌年、経団連常任理事。'85 中部電力の社長を退き、代表取締役会長に就任。同年、勲1等瑞宝章受章。'86 西ドイツ政府から功労勲章「大功労十字章」を受章。のち西ドイツ名誉領事。
'87 中部電力の会長を退き、相談役に転ずる。同年、エネルギー関係の功績を認められ、フランス政府からレジオン・ド・ヌール勲章を受章。'90(H2)中部新国際空港建設促進協会代表理事に就任。'91 ナゴヤドーム建設準備協議会会長を務め、'97 株式会社名古屋ドーム取締役会長。
他に、'91 Jリーグ創設後、名古屋グランパスエイト取締役会長、'93 東海旅客鉄道(JR東海)代表取締役会長も務めた。また日本電気協会会長、日本漕艇協会会長、財団法人名古屋フィルハーモニー交響楽団理事長、財団法人東海産業技術振興財団理事長、熱田神社総代などを歴任するなど、名古屋財界の重鎮として活躍した。享年87歳。中部電力とJR東海により合同社葬が執り行われた。
*墓所には二基建つ。正面和型「田中家之墓」、裏面「平成七年九月 田中精一 建之」。墓所左手側に弟で戦死した「故 陸軍中尉 田中徳三 墓」が建つ。墓所左側に墓誌も建つ。墓誌は父の田中德次郎から刻みが始まる。母は たか(M24.11-H2.9.17・99才)。母は愛知県出身、名古屋証券取引所理事長の高橋彦次郎の長女。長男が田中精一、戒名は大燈院燿道研精居士。精一の妻は英子(H28.4.4・100才:松濤院壽鶴法英大姉)。4兄弟全員同墓に眠る。弟で二男は田中安喜二(T1.10-H9.10.17)。安喜二の妻は明子(H7.4.21歿・74才:エリザベート)。弟で三男は田中徳三(T6.5-S18.4.2:墓誌には刻まず墓石が建つ)。弟で四男は田中常司(T10.7-H12.4.26)。常司の妻は澄子(H16.11.10歿・77才)。