メイン » » » 滝口新太郎
たきぐち しんたろう

滝口新太郎

たきぐち しんたろう

1913(大正2)〜 1971.10.23(昭和46)

大正・昭和期の俳優

埋葬場所: 6区 1種 7側 53番
【岡田嘉子と共に名が並ぶ】

 1925(T14)新派の子役としてデビュー。翌年「狂った一頁」で映画にも初出演、松竹蒲田に所属し、松竹トーキー第2作の「若き日の感激」で人気を得る。 '32.12.01(S7)「忠臣蔵 前篇 赤穂京の巻」「忠臣蔵 後篇 江戸の巻」大石主税役にて出演をした際、おるい役の岡田嘉子と共演した。 '33日活太秦時代劇部へ転じ「長脇差風景」などに出演。また現代劇「未来花」「愛刀小松五郎」などでも活躍した。'42には東宝・大映に移り、「婦系図」「成吉思汗」「海ゆかば」などで好演。
 戦争悪化のため、兵役に服しソ連に派遣されるも、ソ連軍の捕虜となり、シベリアに抑留された。 釈放後、ソ連側からの説得に応じ、社会主義の理想を信じてソ連に残ることを決める。'46.12.3ハバロフスクに開設されたモスクワ放送の支局の日本人職員となる。 後、モスクワに送られ、モスクワ放送の日本語課に勤務。清田彰、川越史郎、石井次郎、岡田嘉子らとモスクワからの日本向け放送を行った。 放送の中では、国の威信をかけた大事業や重大な国際問題だけではなく、ソ連各国の文化や伝統を紹介し、日本の人々に親しんでもらう制作を行っていた。
 '50岡田嘉子と結婚。その後も、モスクワ放送局にて活動。'71肝硬変で死去。没するまで帰国はしなかった。 翌年、岡田嘉子は新太郎の遺骨を持って34年ぶりに日本の地を踏む。羽田空港には報道陣が詰め掛けた。遺骨は岡田家の多磨霊園へ納められた。

<芸能人名辞典など>


墓誌

*墓所は正面に小さめな岡田家之墓が建ち、その右側に滝口新太郎と岡田嘉子の自筆が刻む墓石が建ち一緒に眠る。その墓石には「悔いなき命をひとすじに」と刻まれている。

墓所

*墓石が以前は「岡田家之墓」であったが、現在は「山本家之墓」に変わっている。

<山口様より写真提供>


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・た行 | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。