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たけや はるみつ

竹屋春光

たけや はるみつ

1883.3.6(明治16)〜 1938.1.24(昭和13)

明治・大正・昭和期の公家、子爵、貴族院議員

埋葬場所: 14区 1種 14側 5番

 東京都出身。 松平茂昭(福井藩第15代最後の藩主、福井藩知事、侯爵)の四男。旧姓松平。竹屋威光の養子。 兄弟に、侯爵を継いだ次男の松平康荘、三男の松平永頼、五男の藤波茂時(宮内顧問官・子爵の藤波言忠の養子)がいる。
 養子として入った竹屋家は、日野家・広橋支流・儒道・插花・180石の公家である。竹屋光昭(1906.9.9没 同墓)が1884(M17.7.8)子爵に授爵され、以後、光富、威光(全て同墓)と継承された。 1912.10.11(T1)竹屋威光が20歳の若さで没し、竹屋家が断絶の危機に陥りそうになった際、親交があった福井松平家より春光が竹屋家継承を決意し養子となり家督爵位継承、'13竹屋家再興。 なお、その際に、春光は総理大臣・陸軍元帥の山縣有朋の孫、逓信大臣・枢密顧問官の山縣伊三郎の三女の寿美子と結婚した。春光は30歳、寿美子は19歳の時である。
 '16内閣総理大臣秘書官となり、'18〜'25(T7.7-T14.7)貴族院議員(研究会に属す)を務めた。 '30華道「美生流」を復活、'33美生流二百五十年催華展。享年56歳。旧公卿 従三位 勲四等。春光歿後、康光が爵位を継承した。なお、 康光は太平洋戦争にて没したため、春光の次男の忠光が継承。

<歴代閣僚と国会議員名鑑>
<平成新修旧華族家系大成>
<MATSU様より情報提供など>


*1938(S13)春光死去にともない、竹屋康光が竹屋家墓所を青山霊園より改葬。

*華道「美生流」家元。美生流では日本の文化伝統を守り許伝書は家元自筆の(毛筆)で現在も継承し技と心を伝えています。現在は、NPO弥生美生研究会として続いている。


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