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たけとも そうふう

竹友藻風

たけとも そうふう

1891.9.24(明治24)〜 1954.10.7(昭和29)

大正・昭和期の英文学者、詩人、翻訳家

埋葬場所: 6区 1種 16側

 大阪府出身。父は東海生命保険専務取締役などを務めた実業家の竹友安治郎、楳代(共に同墓)の長男。本名は乕雄(とらお)。
 関西学院中学校、同志社中学校、桃山学院中学校を経て、1911(M44)同志社神学校卒業。'13(T2)処女詩集『祈祷』を上梓。'14京都帝国大学英文科選科で上田敏に学び卒業。'15『浮彫』を発表し、渡米。米国イェール大学神学部に留学。'16ニューヨークのブルックリン博物館で管理助手を務めながら、'17コロンビア大学で英文学を学び、'20専攻修了して帰国。
 '20野口米次郎の紹介で、慶應義塾大学教授(英語・英文学)に就任。同年『時のながれに』を出した。'21東京高等師範学校専任講師となり、'23教授。英文学者としての活動と並行して、'21北原白秋(10-1-2-6)らと新詩会を結成。『審美論集』や、茅野蕭々・雅子との共著『鬱金草』を発表し詩人としての地位も確立。
 11世紀ペルシアの詩人の訳詩集『ルバイヤツト』(ルバイヤート:アラビア語で「四行詩」を意味する)や『ヴェルレエヌ選集』を出す。'24『ギリシア詞華抄』の翻訳本も刊行した。他にも、'26『文学論』、'27(S2)『エッセイとエッセイスト』、『詩集』、『書物と人』、'30『英文学論攷』、『馴鹿』、『文学総論』、'33『英国小品文学』と立て続けに詩集や英文学・評論を発表。ピューリタニズムとヘレニズムを交えた学匠詩人で、典雅な詩風で知られた。
 '34(S9)関西学院大学開設と同時に英文学部教授に転じる。同年『冬扇帖』、'39『叙情詩論』、'41『英詩史』、'42『鶺鴒』、'43『藻風小品』を出す一方で、'42恩師の上田敏の遺志を継いで、ダンテの「神曲」を完訳した。
 戦後、'48 大阪大学文学部英文科教授となる。同年『肯定的精神』を刊行。また、シェイクスピア選集などの翻訳も行った。'50関西学院大学最初の文学博士の学位を授与された。'51『法苑林 訳詩集』刊行。'52関西学院大学大学院教授を兼任。享年63歳。没後、'82息子(3男)の藤井治彦の編集で『竹友藻風選集』が刊行された。関西学院大学50周年を記念して作られた「関西学院頌歌」(山田耕筰作曲)の作詞者でもある。

<コンサイス日本人名事典>
<ブリタニカ国際大百科事典>
<日本大百科全書><関西学院事典など>


*墓石前面「竹友家之墓」。右面「昭和五年壹月建之」。裏面は墓誌となっている。母の楳代、父の安治郎に続いて、本名の「竹友乕雄」と刻む。藻風の刻みはない。妻は芳。

*長男の竹友安彦(1920-)は精神分析学者、アインシュタイン医科大学精神分析名誉教授、ニューヨークで開業。3男の藤井治彦(1935-1998)は英文学者、大阪大学文学部教授。母の芳の実家である藤井家に養子となった。


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