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たけだ くらのすけ

武田蔵之助

たけだ くらのすけ

1882.10.30(明治15)〜 1968.8.18(昭和43)

大正・昭和期の弁護士、教育者

埋葬場所: 10区 1種 10側

 滋賀県出身。武田藤吉、みか(共に同墓)の子。兄は政治家・弁護士の武田貞之助(同墓)。
 第7高等学校を経て、1912(M45)東京帝国大学法学部独法科卒業。大学院に進み海商法を研究し、'13(T2)同大学の助手となる。'16 ドイツへ留学する予定であったが第一次世界大戦のため中止となり、兄の武田貞之助の薦めで関西大学講師となるため東京から芦屋に住居を移した。講師業の傍ら、兄が開業していた武田法律事務所の弁護士として勤めた。関西大学では海商法を講じ、教育熱心で学生の信望も厚く、芦屋の私邸には学生たちがよく出入りしたという。
 その後、'29(S4)関西大学の初代専門部主事となり、'43 協議員に選ばれ、'47 顧問に推挙された。'58 ドイツで行われた第7回法律専門家国際会議に出席した。
 晩年は長男で日本郵船取締役などを務めた武田政之助(同墓)が滞欧中の際に欧州に訪れ、また数年後には次男家族が住むメキシコシティーに夫婦で訪れるなど海外旅行をした。'67 政之助が帰国し、東京勤務になったことをきっかけに、永年愛した芦屋の地を離れ東京に居を移した。享年85歳。

<「関西大学を築いた人々」関西大学年史編纂室>
<関大「武田貞之助 武田蔵之助の思い出」武田政之助 / 1973.9.15・第214号>


墓所 墓所 武田貞之助

*墓所には二基建つ。入口左手側に墓石は洋型「武田家之墓」、裏面「昭和二十五年五月建之 武田蔵之助 / 武田政之助」。墓石右側に墓誌が建つ。戒名は法蔵院釋向順。享年八十七歳と刻む。妻は芳子。芳子は村上正路の二女で、兄の村上正輔は東亞電機社長を務めた人物。

*墓所右手側に和型「武田家之墓」、裏面「平成十年五月吉祥日 武田正明 建之」。左側に墓誌が建ち、父の武田藤吉、兄の武田貞之助(至誠院釋良善:S17.3.11歿)らが刻む。なお、武田政之助(慧明院釋端政:S56.5.19歿・享年66歳/妻は昭子)は両方の墓誌に刻む。


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