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たかはし ひでおみ:高橋秀臣, 鎌田常助,合葬碑

高橋秀臣

たかはし ひでおみ

1864(元治1)〜 1935.11.14(昭和10)

明治・大正期の政治家、社会運動家

埋葬場所: 18区 1種 35側

 伊予国(愛媛県)出身。明治法律学校法律政治学修了。伊予市之川鉱山会社取締役を経て、進歩党党報、憲政党党報各記者、北陸タイムス社社長兼主筆を歴任。 東京市会議員ののち、第17期衆議院議員(立憲民政党)。著書に『日本帝国之富力』『急務檄言』『列国之富力』などがある。享年71歳。

<物故者事典>
<森光俊様より情報提供>


墓所

*墓所は白元創業者の鎌田泉(同墓)、二代目の鎌田耕(同墓)と同墓所。正面右側に和型「鎌田家之墓」、左に並んで「高橋秀臣 / 鎌田常助 合葬碑」が建つ。 鎌田常助は鎌田泉の父親。正面二基の墓石の間の後ろに「祖先改葬墓誌」の碑柱が建ち、鎌田家の先祖代々の名が刻む。「鎌田家之墓」側の右側に墓誌が建ち、鎌田泉や耕の名が刻む。 「高橋秀臣 / 鎌田常助 合葬碑」側の左側には墓誌碑が建ち、高橋秀臣の政治家・社会運動家としての活躍が刻まれている。 高橋秀臣は鉱毒問題の救済会の一員として足尾鉱毒事件で田中正造らと演説をするなど活動をした人物でもある。


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