北海道石狩郡石狩町出身。常助・セイ(共に同墓)の子として生まれる。父が事業に失敗し、1歳のとき一家をあげて上京。露天商に転身した父親を手伝い、小学校1年の頃から商いの世界に入る。その後、独力で早稲田実業に進む。
1923(T12)在学中の16歳のとき鎌田商会を創立、防虫剤・防臭剤の製造販売を手掛ける。'27(S2)早稲田実業卒業。'50株式会社へ改組。
'51パラジクロルベンゼン系衣服用防虫剤「パラゾール」を発売しヒット。'53蛍光染料「白元」を発売し看板商品となった。
'54.7.29原因不明の失火により足立工場が火事により焼失し、企業再生の志を誓い、この日を設立記念日と定めた。
'64冷蔵庫用防臭剤の「ノンスメル」、'65氷のいらない氷まくらという事で発売された保冷袋「アイスノン」など、息の長いヒット商品を世に送り出し、業界屈指のロングセラーメーカーとして知られる。
なお、アイスノンの誕生秘話は、戦時中、病院の衛生兵を務めていた時に、冬場の兵士の熱を冷ますための氷まくらをつくるには、手がかじかんでしまい、もっと作業を簡単にできないものかと考え、戦後、米国帰りの商社マンから米国では鮮魚の輸送にドライアイスではなく、特殊な冷凍パックを使っている話を聞き、これをヒントに、ゲル状の成分を冷凍庫で冷やして使うアイスノンに結びついたそうだ。
'72社名を株式会社白元と改称して社長となる。看板商品名を社名としたことと、「白」の清潔感のあるイメージから採用した。同年、液体靴下止め「ソックタッチ」を発売。
孫からハイソックスがずり落ちてしまうのをどうにかならないだろうかという相談を受け、自宅にあった薬品でノリを作って渡しのがきっかけである。
一時は生産を中止し製造機も破棄するほど売れなかったが、平成に入りコギャルブームで再び脚光を浴び遅咲きのヒット商品となる。
その他、有名な商品としては、'80使い捨てカイロ「ホッカイロ」や、洋服ダンス用防虫剤「ミセスロイド」など多数あり、CMが注目され大ヒットにつながっている。
これら商品開発に対して、「物作りのヒントは必ず自分の手の届く所にある」というモットーを持ち、人々の暮らしに根付くような商品を数多く開発してきた。
'88社長の座を息子の鎌田耕(同墓)に引き継がせ、会長に就任。正6 勲5雙光旭日章。享年86歳。没年、東京工業大学の産学交流組織である生物工学研究会に、学生を対象とする鎌田泉賞、鎌田泉博士論文賞が設けられた。