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たじま たつさく

田島達策

たじま たつさく

1858.6.13(安政5.5.3)〜 1938.2.5(昭和13)

明治・大正・昭和期の実業家(ミツウロコ創業者)、政治家

埋葬場所: 2区 1種 2側 7番

 上野国緑野郡神田村(群馬県藤岡市神田)出身。田島長十郎の二男として生まれる。東京小石川の芳野塾、塩谷塾で学び、1883(M16) 専修学校を卒業。
 1886 高崎線新町駅前にカネイチ運送店を創業。海から離れた山間部に魚を届ける運送業を始める。1892 三鱗社と社名を改称し東京進出をした。1895 三鱗合資会社。社名の由来は、3社の運送店が関わっていたことから「三社」の「三」と、魚介類の運送を主に扱っていたことから「鱗」とし「三鱗社」とし、現在はカタカナ表記「ミツウロコ」としている。
 他に明治運送取締役、日本逓業取締役に就任し、群馬電力、西上電気などを設立し社長となる。また、1917.4.20(T6) 第13回衆議院議員総選挙に群馬県郡部から無所属で立候補し当選。正交倶楽部の属し、1期務める。
 '19 三鱗石炭株式会社を設立、'26 三鱗石炭と三井物産との合弁で三鱗煉炭原料株式会社を設立。更に、'33(S8) 三鱗無煙炭株式会社に社名変更した。
 田島は長きに渡り主婦の家事仕事を支えるために重たい木炭や薪運びの運送に従事していたが、もっと手軽に火を扱えないかと考え、重たい木炭や薪運びを軽減するために固形燃料を届ける事業を始めた。これが運送業からエネルギー商社へと変更するきっかけとなる。
 郷里の文化振興に関心を持ち、美九里小講堂、多野会館などの公共施設整備に多額の寄付を行った。享年79歳。
 没後、長男の田島庄太(同墓)が継ぎ、戦後、'51からは孫の田島震(同墓)が引き継ぎ、練炭・豆炭の製造販売から石油・プロパンガス(LPガス)販売へと転換し業績をのばした。'61(S36)東京煉炭、横浜煉炭、栃木三鱗、永沼燃料、湘南燃料を合併し、株式会社ミツウロコに社名変更し現在に至る。

<群馬県人名大事典>
<歴代閣僚と国会議員名鑑>
<人事興信録など>


*墓石は大きな五輪塔に「田島家墓」、左面に田島達策の識で田島家や簡略歴などが刻む。墓誌はない。墓所内に灯篭が4基建ち、裏に三鱗運送株式会社などの刻みが見れる。

*妻は須藤金八の三女の やす(文久1.12生)。長男はミツウロコを継いだ田島庄太(M18.9生)。田島庄太は三麟石灰社長、明治運送常務取締役、三麟運送取締役、國際運送取締役、國明相互保證取締役、東京電力監査役を務めた。庄太の妻は天田長三の二女のセン(M26.12生)。二人の間には3男3女を儲ける。長男はミツウロコを継いだ田島震。長女は淑子(T3.1生)、二男は濟(T5.10生)、二女は閑(T7.10生)、四男は復(T11.9生)、三女は和子(T13.10生)。

*2011.4よりミツウロコはフジテレビ・テレビアニメ『ちびまる子ちゃん』のスポンサーを務めており、番組内では限定のコラボレーションCMを放送している。



第276回 三鱗 ミツウロコ 創業者 田島達策 お墓ツアー


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