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たどころ てるあき

田所輝明

たどころ てるあき

1900.11.3(明治33)〜 1934.11.19(昭和9)

大正・昭和期の社会運動家

埋葬場所: 22区 1種 32側

 北海道出身。早稲田大学在学中、浅沼稲次郎(18-1-3-12)らと建設者同盟・暁民会を結成し参加。1920(T9)日本社会主義同盟に加入、その創立大会の発会式で検挙・投獄された。これにより大学を中退。
 出獄後、山川均の指導する社会主義グループ〈水曜会〉に加わり、雑誌「前衛」の編集に携わる。 '22日本共産党創立後に入党、'23第1次共産党弾圧事件で検挙された。 出獄後、党の福本イズムに反対し、'26日本労農党創立に参画、その後全国労農大衆党、社会大衆党に属し、日労党系の中心人物の1人として活躍した。 著作に『社会運動辞典』など。腸チフスの為に逝去。享年34歳。社会大衆党葬として営まわれた。 河野密がその悲嘆を凝結して一夜に「田所輝明を弔う歌」作詞した。これは今でもその数節を日本社会党葬の時などで、革新陣営戦士を弔う歌として受け継がれている。

<コンサイス日本人名事典>
<講談社日本人名大辞典など>


*墓石には「田所輝明之墓」と刻む。左手に墓誌があり、輝明の妻の八重子(平成6年7月14没 享年92歳)、娘の輝子(平成5年3月7日没 享年57歳)ともに眠る。

*若くして亡くなった田所輝明と農民の父と言われた可児義雄(吉雄)の墓の見積から墓所図面全て浅沼稲次郎が墓建設の責任者として多磨霊園に建立し、墓所の名義人を両人の子息にて届けでたとされる。 なお、可児義雄は22区1種32側3番に墓があったが、現在は愛知県犬山市徳授寺に改葬されている。


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