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ぜん しょうのすけ

膳 昭之助

ぜん しょうのすけ

1928.8.19(昭和3)〜 2013.11.17(平成25)

昭和・平成期の合成化学者

埋葬場所: 11区 1種 10側

 群馬県出身。財界人・政治家の膳桂之助(同墓)の次男として生まれる。暁星中を経て、海軍兵学校に入るが、訓練半ば京都府舞鶴で終戦を迎えた。
 慶應義塾大学工学部応用科学科に入りなおし、1953.3(S28)卒業。大学院に進み、梅沢純夫教授の下で「脂肪族ニトロ化合物を用いる合成化学的研究」に邁進し学位を取得。この研究はN,O複素環化合物の効率的合成に道を開くもので、その後の研究テーマの主軸となった。博士課程終了後、同大学工学部助手、講師を務めた。
 '65.4新設間もない北里大学薬学部教授に就任。薬学部製薬学科薬品製造工学教室を主宰し、多くの人材を育成した。臨床薬学教育の導入など、薬剤師教育が大きく変動する中で、時代の変化に柔軟に対応し薬学部の発展の基礎を築いた。
 ニトロ化合物を基盤とした新しい有機合成反応の開拓と機能性分子の構築を目指す研究を展開。具体的には各種アミノ酸の効率的合成、イソオキサゾリン・イソオキサゾール誘導体の新規合成法を鋭意進展された。一方、グルタルアルデヒドとニトロメタンとの反応に基づくアミノシクロヘキサンジオールの合成反応の開発を契機として糖質に関する合成反応を展開させ、新規グリコシル化法に基づく糖鎖の効率的合成法の開発や、1,2-シス型アミノ糖の合成に多くの業績を残した。
 糖鎖の合成研究に関しては、ドイツのダルムシュタット工科大学のリヒデンターラー教授との共同研究を推進され、'82同大学の客員教授に招かれた。その他、日本化学会編集員、日本薬学会評議員、有機合成化学協会編集委員長・理事、日本糖質学会顧問、日仏工業技術会理事などの要職を務めた。
 '94(H6)北里大学を停年退職し名誉教授。その後は、慶應義塾大学理工学部と成蹊大学理工学部で非常勤講師を勤める一方、横浜にあるワミレスコスメディックス社の研究所長として、実用的な化粧品シーズの探索と企業化に向けた研究を推進。80歳を機に15年間勤務・在任した所長を辞した。持病の糖尿病が悪化し、晩年は歩行が困難が生じるようになり、入退院を繰り返したが心不全のため逝去。享年85歳。葬儀は聖イグナチオ教会で営まれた。

<日本糖質学会会報vol.18 追悼 膳昭之助先生(梶英輔)>


墓所

*墓所には3基建つ。真ん中に洋型「膳桂之助墓 / 國子」。左に「膳家之墓」。右に「膳道子之墓」。「膳桂之助墓 / 國子」の裏面には桂之助と國子の霊名、受洗日、没年月日、行年が刻む。「昭和二十七年十一月 膳雄之助 建之」と刻む。「膳家之墓」の裏面は墓誌となっており、桂之助の長男の膳雄之助(ヨハネフランシスコ)らが刻み、昭之助はアントニオと刻む。墓所内には「膳桂之助氏墓誌」も建ち、桂之助の略歴が刻む。

*師匠である有機合成化学者の梅澤純夫の妹と結婚したため梅澤は義兄にあたる。


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