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ぜん けいのすけ

膳 桂之助

ぜん けいのすけ

1887.7.21(明治20)〜 1951.11.25(昭和26)

大正・昭和期の財界人、政治家

埋葬場所: 11区 1種 10側

 群馬県出身。旧制前橋中3年のとき教師の排斥運動を行い放校処分を受ける。1914(T3)東大独法科卒。農商務省に入る。 初代労働課長時代に健康保険法案を立案して団琢磨に認められ、'26年団が理事長を務める日本工業倶楽部に迎えられた。 '34(S9)に日本団体生命保険を創立し、専務を経て'42社長。この間'37にILO総会に使用者代表として出席した。 大日本産業報国会理事で敗戦を迎え、戦後は'46に貴族院議員に勅選され第1次吉田内閣で経済安定本部の初代総務長官を務める。 その部長クラスに民間人を登用。GHQに対しても、自分の信ずるところを曲げず、「ファイター」と呼ばれた。翌年の第1回参院選に当選したが公職追放。『膳桂之助追想録』がある。

<現代日本朝日人物事典>
<五輪塔様より情報提供>


墓所

*墓所には3基建つ。真ん中に洋型「膳桂之助墓 / 國子」。左に「膳家之墓」。右に「膳道子之墓」。「膳桂之助墓 / 國子」の裏面には膳桂之助の「霊名フランシスコ、昭和二十六年十一月一日 受洗」、没年月日と行年が刻む。妻の國子の「霊名マリア、昭和三十年五月二十四日受洗、昭和四十七年三月三十一日永眠 行年八十二歳」と刻む。「昭和二十七年十一月 膳雄之助 建之」と刻む。「膳家之墓」の裏面は墓誌となっており、桂之助の長男の膳雄之助(ヨハネフランシスコ)、次男で北里大学名誉教授の膳昭之助(アントニオ)らが刻む。墓所内には「膳桂之助氏墓誌」も建ち、桂之助の略歴が刻む。


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