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すずき ぶんすけ

鈴木文助

すずき ぶんすけ

1887.1(明治20)〜 1949.11.8(昭和24)

大正・昭和期の生物化学者

埋葬場所: 10区 1種 7側 8番

 福島県出身。旧姓は荒木。オリザリン(ビタミンB1)の発見者者である鈴木梅太郎(同墓)の養子。
 東京帝国大学農芸化学科卒業。農学博士。1923(T12)京都帝国大学教授となり、同校農学部長。'33(S8)油脂の研究(脂肪管及びこれを含有する生物体成分の研究)で学士院恩賜賞。'34東京帝国大学教授に転身、理化学研究所研究員を兼務。病気のため退職した。 享年61歳。

<世界人名辞典(東洋偏)>
<講談社日本人名大辞典>


墓所
鈴木梅太郎先生碑 鈴木文助先生碑

*墓所は正面和型「鈴木家之墓」。墓誌があり、鈴木文助の戒名は真解院釋大應居士。墓所入口には正面に向けて、左側に門下生から贈られた「鈴木梅太郎先生碑」が建ち、右側に「鈴木文助先生碑」が建つ。

※2022年4月、鈴木梅太郎、鈴木文助に墓所地をに訪れたところ更地になっていました。どちらに改葬されたのか、それとも無縁となってしまったのか詳細は不明です。詳細をご存じの方は是非ご一報ください。なお、お墓や人物を通して歴史を学ぶことをコンセプトとしているためこのページは残します。訪れた際に墓所がなくなってしまっている動画をあげています。なお、静岡県牧之原市の了見寺に鈴木梅太郎夫妻の分骨墓が建っています。こちらは牧之原市の文化財に指定されているため存続し続けます。


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