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すえつぐ しんぎ

末次信義

すえつぐ しんぎ

1906.4.10(明治41)〜 1945.4.7(昭和20)

昭和期の海軍軍人(大佐)

埋葬場所: 16区 1種 3側 8番

 東京出身。海軍大将の末次信正(同墓)の嗣子。1930.11.18(S5)海軍兵学校卒業(58期)。1942.4.13少佐となり、沖風艦長。同.11.7駆逐艦の若葉艦長としてキスカ島撤退作戦に参加。
 '44.12第2艦隊水雷参謀に就任。'45.4.7沖縄へ水上特攻に向かう戦艦大和と護衛艦艇を、米軍空母艦載機が撃沈・撃退した海空戦である坊ノ岬沖海戦(菊水1号作戦・大日本帝国海軍艦隊最後の突撃)で戦死。享年38歳。二階級特進し海軍大佐。

<連合艦隊司令長官24人の全生涯など>


陸軍大将末次信正之墓 墓所

*墓石は二基建つ。右側が「海軍大将末次信正之墓」。左側が「末次家之墓」。末次家の墓石裏面は墓誌となっており、生没年月日と行年の他に、海軍大佐、沖縄海戦に於き戦死と刻む。人名事典では海軍中佐とするものが多かったが、ここは墓石の刻みを採用する。妻は山内豊中海軍少将の娘の春子。山内豊中は土佐藩第16代藩主(山内一豊が初代)・侯爵の山内豊範の4男。


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