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しょうの げんたろう

生野源太郎

しょうの げんたろう

1888(明治21)〜 1969.7.13(昭和44)

大正・昭和期の鉄道人、歌人

埋葬場所: 11区 1種 10側

 山口県出身。東京帝国大学法科卒業。鉄道省に入り、鉄道局員として仙台、名古屋、東京と転勤をし、鉄道省運輸局配車課長など、鉄道省の要職を歴任した。この間、1934(S9)『鐵道貨物輸送原論』を鉄道時報局から刊行。当時の鉄道は石炭輸送が多かったことから、輸送上に於ける特性などを研究した。
 戦後、青森県八戸市の尻内駅(八戸駅)とその西方にある三戸郡五戸町の五戸駅との間を結んでいた鉄道路線である南部鉄道(旧名:五戸鉄道)の取締役に就任した。
 鉄道局員を勤めながら歌人として歌集を出している。'19(T8)歌集『手を挙げてうたへる』を刊行。'34(S9)歌集『草にをどる』も刊行。享年81歳。


*墓石正面は「生野家之墓」。右側に墓誌が建ち、俗名・没年月日が刻む。源太郎の妻は初恵。長女は洋画家の黒田久美子(1914-1995)。洋画家の黒田頼綱(1909-1998)と結婚。頼綱からみて黒田清輝(洋画家・政治家・子爵)は伯父にあたる。息子の生野幸吉(同墓)はドイツ文学者、小説家。

*生野のヨミを「いくの」とする資料があるが、息子で小説家として著名な生野幸吉のヨミは「しょうの」と読むため、ここでは「しょうの」で統一する。

*南部鉄道は、1968.5.17(S43)十勝沖地震により全線運行休止となり、翌年全線廃止となった。


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