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しらき よういち

素木洋一

しらき よういち

1914.3.31(大正3)〜 1998.2.23(平成10)

昭和期の窯業工学者、セラミックスの権威者

埋葬場所: 10区 1種 15側 1番

 東京市牛込区出身。祖父は教育者の素木岫雲(同墓)、父は昆虫学者の素木得一(同墓)、叔母は作家の素木しづ。
 1940(S15)東京工業大学窯業学科卒業。'42東京工業大学助手、'48助教授、'51「粘土瀬−水系の研究」により窯業協会学術賞を受賞。 '62教授を歴任し、'71退官、東京工業大学名誉教授。'73東京都科学技術功労賞、'75手島学術賞、'87勲三等旭日中綬章を受けた。 窯業協会会長。工学博士。ファインセラミック、建築用セラミック、セラミック製造などの研究で成果を挙げた、セラミックスの権威者である。 『セラミック概論』など多くの研究著作を出版する。一方、陶芸を好み、『陶芸のための科学』『釉とその顔料』『図解工芸用陶磁器』『陶芸・セラミック辞典』なども著している。急性呼吸不全で死去、享年83歳。

<現代日本人名録 物故者編など>
<森光俊様より情報提供>


墓所 素木岫雲先生之墓

*墓所正面に洋型「素木家」、裏面に「素木洋一建之」と刻む。墓所右側に「素木岫雲先生之墓」が建ち、裏面に素木岫雲の略歴等が刻む。墓誌は無い。

*素木岫雲(1899歿)は函館師範学校長、函館教育協会会長を務めた人物で、妻の由幾との間に、2男4女を儲けた。長男は昆虫学者の素木得一、二男は卓二、長女は幾くの、二女は ももえ、三女は しづ、四女は つゆ。素木家の代々の菩提寺は、岫雲の出身地の大分県中津市にある浄土真宗の西楽寺。


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