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しらいし じつぞう

白石実三

しらいし じつぞう

1886.11.11(明治19)〜 1937.12.2(昭和12)

明治・大正・昭和期の小説家、随筆家

埋葬場所: 9区 1種 14側(白石實三)

 群馬県碓氷郡安中駅伝馬町出身。質屋を営んでいた小川繁松・つるの三男として生まれる。旧姓は小川。 3歳の時に同郡野殿村の名主の白石彦太郎、ゆわ夫妻の養子となる。進路に悩み、妙義山に登って谷に石を落とした結果、東大進学ではなく、早稲田大学への進路を決めた。
 早稲田大学英文科卒業後、同校法科・東京外語学校露語科に学ぶ。在学中より郷里の先輩である田山花袋(12-2-31-24)に師事。 助手として博文館で編集に従事した。1年間志願兵として水戸工兵大隊に入隊し、除隊後、上京して富山房に入社した。
 1910(M43)処女作『長兄』を発表。次いで『養家』、'11『墓穴』、『あん火』など多くの自然主義的な自己の生活に材を取った私小説的な作品を発表し、'18(T7)懸賞当選小説『返らぬ過去』で作家的地位を確保した。
 1916(T5)武蔵野会の設立に尽力。武蔵野の地誌、歴史に関心をもち、『武蔵野巡礼』、『大東京遊覧地誌』、『新武蔵野物語』などを執筆した。武蔵野研究家として知られる。 その他、主な著作に『悲しき微笑』、『姉妹』、『解剖学教室』、『ほとけの家』、『死人の香り』、『旧知』、『雛妓』、短編集『曠野』など多数。 文芸評論や翻訳、『滝夜叉姫(たきやしゃひめ)』などの伝記ものも発表した。府立第3中学の教員、博文館の編集部長、早稲田大学出版部次長なども勤めた。享年51歳。
 1911(M44)田山花袋の媒酌で森田思軒の一人娘の下子(1892-1971.2.18 同墓)と結婚。

<コンサイス日本人名事典>
<講談社日本人名大辞典など>


白石實三墓 妙法蓮華経

*白石家の墓所には左側に「白石實三墓」、右側に「妙法蓮華経」(台座に白石家)の和型墓石が並んで建つ。その右側に墓誌がある。 墓誌にも刻まれているが、「白石實三墓」の横面に実三と下子の戒名、裏面に没年月日と享年が刻む。戒名は智徳院實阿文教一道居士。


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