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しおだ たいすけ

塩田泰介

しおだ たいすけ

1867(慶応3)〜 1938.2.5(昭和13)

明治・大正・昭和期の造船事業家

埋葬場所: 9区 1種 2側 18番

 正好鶴五郎の弟として備前赤磐郡軽部村に生まれる。のち先代鶴の養子となり塩田家を嗣いだ。 1890(M23)東京帝国大学工科大学造船学科卒業後すぐに三菱合資会社に入り、以来専ら造船事業に関与しつつ日清、日露戦争に尽し、1906勲六等に叙せられる。 1915(T4)工学博士の学位を受け、同社の造船部専務理事となり、のち三菱造船会社の設立とともに常務取締役に選ばれ、のち辞してその顧問となった。この間、日本鉄鋼協会長、帝国海事協会理事等の公職に挙げられ、わが国造船事業のために尽した。

<平凡社『日本人名大事典』>
<MATSU様より情報提供>


墓所

*正面に二基あり、左側が「鹽田家累代之墓」、右側が「鹽田泰介 / 室 小百合 墓」。塩田は旧字の鹽田。
 左隣りの墓所は政治家の冨田幸次郎。その隣りの墓所が三菱造船で寝食を共にし造船事業に尽力した浜田彪の墓である。浜田と塩田は同じ年に没している。


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