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しみず でんしろう

清水傳四郎

しみず でんしろう

1884.1.15(明治17)〜 1957.9.18(昭和32)

明治・大正・昭和期の開拓事業者
(ボルネオ島・ゴム栽培)

埋葬場所: 4区 1種 20側

《略歴等は調査中。どなたか詳細をご存知の方はご一報ください》


 茨城県出身。1908(M41)弱冠24才の時に単身で、マレーシア(当時英領)のデ・ボルネオ島クチン市に渡航。クチン市外マタン・ロード5マイルに清水ゴム園を開設。当初は10エーカーであったが、1928(S3)には338エーカーに拡大。 清水ゴム園は、サラワクにおける日本人ゴム園の嚆矢とされている〔1909(M42)開設説もある〕。マタン・ロードの3マイルから5マイルにかけて中小規模の日本人ゴム園が集まり日本人村を形成した。 1912熊本県出身の栗原キサがサラワク河上流7マイル、バト・カワの既成ゴム園(15エーカー)を買収し、栗原ゴム園を開設した。その後、栗原はゴム園の経営を傳四郎に委託している。
 1917(T6)山下合名会社総帥の山下亀三郎(20-1-58)が、サラワク河上流20マイルのシンニャワン近くのタンジョン・パウにあった中国人ゴム園(既成)を買収、山下ゴム園(520エーカー)を開設するなど、ボルネオ島各地で日本人によるゴム栽培事業で盛り上がった。 1925.12(T14)傳四郎は大森千代(神奈川県高座郡茅ヶ崎町出身)と結婚。妻の千代と共にゴム栽培事業に尽力するが、太平洋戦争に巻き込まれ、日本が敗戦したため、終戦と共に帰国した。

<日本・ボルネオ関係年表>
<墓誌碑より>


*清水傳四郎=清水伝四郎

*墓所内墓誌には、ボルネオ島でのゴム栽培事業の功績が刻む。


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