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しますえ しょうぞう

島居庄蔵

しますえ しょうぞう

1889.4(明治22)〜 1972.10.19(昭和47)

大正・昭和期の銀行家

埋葬場所: 3区 1種 31側

 広島県尾道市出身。島居又五郎の長男。長崎高等商業学校卒業。卒業後、日本銀行に入行し、秘書役となる。次いで、考査部主事。'30(S5)世界恐慌の際に非公式に大蔵省と日本銀行の共同の調査会が設置され日本銀行側の委員に任命された。
 日本銀行ニューヨーク代理店監督役、ロンドン代理店監督役 、門司支店長、国債営業局長を歴任し、'42.3.30 日本銀行大阪支店長などを経て、日本銀行理事となる。他に興行銀行理事、日本協同証券監査も務めた。
 '51.11.6 内閣から証券取引委員会委員長に任命された。著書に『長期資金市場たるの基盤を培え-大衆による資本蓄積のために』(1951)などがある。

<大衆人名事典>
<人事興信録>


墓所 
墓所

*墓所には道沿いから奥に向かい島居四兄弟の墓石が4基並び、奥に小さな墓石を合わせて5基建つ。一番奥は長男の島居庄蔵一家の和型「島居家之墓」。右面に島居庄蔵(M23.4-S47.10.19)の名と歿年月日と享年が刻む。左面は庄蔵の妻のツネ(M29.8-S58.3.26)、愛媛県出身で近藤貞次郎の4女。その左に幼くして亡くなった子の小さな墓「釋妙説聲順童女」。

*奥から二番目は二男の島居松次郎一家の和型「護念院釋浄松居士 / 護法院釋正意大姉」、右面に島居松次郎(M28.4-S29.3.30)の名と歿年月日と行年が刻む。左面は松次郎の妻は正代(M28-S57.3.12)、大阪府出身で保澤調作の5女。裏面は墓誌となっており、島居正(H29.1.29歿・行年86歳)が刻む。

*奥から三番目は三男の島居金次郎の墓「南無阿弥陀佛」、左に墓誌が建つ。島居金次郎(M30.10-S59.2.18)の戒名は至誠院釋金台居士。金次郎の妻の祝(M34.9-S59.11.7)は香川県出身で旧姓は成瀬。

*道沿いの墓石は四男の島居辰次郎の墓「昭親」、左隅に「大本山増上寺八十六世 大僧正 仁譽書」、裏面「平成八年一月 島居辰次郎 建之」と刻む。左に墓誌が建ち、妻の島居加津子(H8.3.23・享年81歳)から刻みが始まり、「キリスト教新教」とも刻む。島居辰次郎はクリスチャンではなく仏教徒であり戒名は大乗院安譽辰精和親居士と刻む。

*島居又五郎は4男1女を儲け、長男は島居庄蔵で銀行家。二男の島居松次郎は順天堂医院に勤めた医学博士。三男の島居金次郎は富士電機技師・常務取締役。四男の島居辰次郎は逓信省・海上保安官。長女の早苗(T7生)は大使館書記官の島重信に嫁いだ。


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