| 歴史が眠る多磨霊園 |
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嶋中雄三 |
しまなか ゆうぞう | |
| 1881(明治14)〜 1940(昭和15) | |
大正・昭和期の社会運動家 | |
| 埋葬場所: 20区 2種 8側 53番 | |
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奈良県出身。出版人の嶋中雄作の兄。東京法学院(中央大)中退。 福島四郎の「婦女新聞」の編集助手時代に下中弥三郎(24-1-10-6)を知り、 雑誌「ヒラメキ」「サンデー」「新公論」や啓明会などで協力。 安部磯雄らと文化学会・労働組合同盟会・日本社会主義同盟に参加。 1924(T13)政治研究会の創立に参加し、主導的役割を果たす。 26社会民衆党結成に加わり中央執行委員。29(S4)東京市会議員に当選。 31党満蒙問題調査委員として満州へ渡り、同年下中・赤松克麿らと国家社会主義運動懇談会に参加。 運動の分裂後、下中らと新日本国民同盟を結成。 この間、丸山鶴吉の東京市政革新同盟常任幹事となり、市政刷新運動を展開し、37市長選に出馬したが、落選した。 <コンサイス日本人名事典>
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