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しげみつ あつむ

重光 蔟

しげみつ あつむ

1884.10.10(明治17)〜 1966.2.16(昭和41)

大正・昭和期の造船工学者

埋葬場所: 19区 1種 10側

 大分県大野郡三重町(豊後大野市)出身。に士族で大野郡長を務めた杵築重光家の直愿・松子の長男。弟に外務大臣を務めた重光葵がいる。
 1908(M41)東京帝国大学工科大学卒業。同年第四高等学校(金沢大学)教授となる。'17(T6)逓信省の技師となり、'25〜'29(T14〜S4)東京帝国大学教授を兼務した。 '37〜'45浦賀ドック取締役、'41〜'52名古屋造船取締役、'42〜'46名古屋造船社長をつとめた。日本海事協会理事長、造船協会会長なども歴任。工学博士。享年81歳。

<物故辞典など>
<森光俊様より情報提供>


墓所

*墓石は和型「重光家之墓」。右側に墓誌が建つ。左側に公園にあるような三人掛けのベンチが墓所内に設置されている。

*重光蔟の父は重光直愿。重光蔟の妻はミよし(M23.8.14-S57.4.9:墓誌に「み」のみカタカナ「ミ」となっている)。ミよし は古丸藤三郎の長女。重光蔟とミよしの間に3男1女を儲けている。全員同墓に眠る。長女の章子は早死、長男の彊も早死。二男は外交官として活躍した重光晶。三男は重光胖(ゆたか:T7.5.16-H29.9.21)。重光胖は『随想 技術の心』『東西の心の上に : ある物理学者が米国南部で考えたこと』の著書を刊行している。重光晶の妻は綾子(S2.11.26-H29.12.8)。綾子は外務省の山路章の娘。重光胖の妻は祥子(S6.1.26-R5.6.11)。

*大分県国東市安岐町山口の谷合墓地に代々の重光家のお墓がある。重光蔟の曾祖父である頼之(彦四郎・由斉・岩屋松木氏の出)と曾祖母の玖美子(両子林氏の出)夫婦以降の人たちが眠る。弟で太平洋戦争時期の外務大臣で、終戦時に政府全権としてミズーリ艦上で降伏文書に調印した重光葵・喜恵夫婦も本家の墓所に眠る。


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