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しげみつ あきら

重光 晶

しげみつ あきら

1915.1.15(大正5)〜 2000.8.27(平成12)

昭和期の外交官、ソ連研究家、外交評論家

埋葬場所: 19区 1種 10側

 石川県出身、東京育ち。父は造船工学者の重光蔟(同墓)で、父が第四高等学校教授時代に生まれた。誕生翌年より東京に戻っている。
 東京帝国大学政治学科卒業。1938(S13)外交官試験合格。'39外務省に入省。ロシア語在外研修員としてポーランド、ラトヴィア、ブルガリアで研修の後、フランス、スイス在勤。 '46帰国し、'51条約局第三課長、'59欧亜局参事官、'61在ソ大使館参事官、'65駐ルーマニア大使、'68国際連合局長、'70駐ナイジェリア大使、'74駐ソ大使を歴任。 '79電々公社特別参与。ソ連研究家、外交評論家としても知られた。著書に『ソ連を見る眼』『北方領土問題とソ連外交』『わが憶出のロシア人』など。享年84歳。

<物故辞典など>
<森光俊様より情報提供>


*墓石は「重光家之墓」。墓誌があり名前と生没年月日が刻む。

*妻は澄子。澄子の父の小森雄介は島津家家老の子で、後藤新平の秘書官や大企業の重役を経験した政財界の重鎮で「麹町番町のご隠居」と呼ばれていた人物。

*太平洋戦争時期の外務大臣で、終戦時に政府全権として降伏文書に調印した重光葵の甥(父の弟)にあたる。


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