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せんば しげお

仙波繁雄

せんば しげお

1904(明治37)〜 1961.9.16(昭和36)

昭和期の実業家

埋葬場所: 4区 1種 41側

≪詳しい略歴は調査中。ご存知の方はご一報ください≫

 先代の仙波虎五郎が創業した羽田コンクリート工業所を、1935(S10)羽田コンクリート工業株式会社に改称し代表取締役に就任。日本各地に出張所を開設した。その後も増資を続け発展させた。
 コンクリートまくらぎ開発をし外山軌材株式会社の社長の外山繁太郎(16-1-8)が、'50社名を日本鋼弦コンクリート株式会社と改名し、我が国で最初のプレストレストコンクリートまくらぎ(PC)の製作を開始した。 '55(S30)仙波がこの会社の社長として声がかかり、自身の会社と兼務する形で就任。外山はこの会社を仙波に任せ、同年、外山は鉄道軌材工業株式会社を創設し、レール締結装置など軌道用品の開発と販売を開始した。'61急逝。享年57歳。


墓所

*墓石は和型「仙波家之墓」。右側に墓誌があり、俗名・没年月日・行年が刻む。妻は八重。同墓には平野家も埋葬されており、平野家は八重の家。八重の父の平野茂市、母の その、兄で早死した勲も眠る。

*墓所入口左右に灯籠が建つ。灯籠の前面にはそれぞれに「羽田コンクリート工業株式会社」「日本鋼弦コンクリート株式会社」が刻まれている。

※同じ時期に活躍した海軍大佐の同姓同名がいるが、別人であると推測する。


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