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とやま しげたろう

外山繁太郎

とやま しげたろう

1894(明治27)〜 1986.10.1(昭和61)

大正・昭和期の私鉄軌道の
PC枕木締結発明家、実業家

埋葬場所: 16区 1種 8側

 新潟県出身。1918(T7)東洋建築社を創設し、当時の最新技術鉄筋コンクリート建物の建築請け負い業を開業。同時に建築用コンクリートブロック製造工場を東京都北多摩郡是政に新設。
 この頃、鉄道用コンクリートまくらぎの開発研究を開始する。そもそも枕木(まくらぎ)とは、鉄道の線路(軌道)の構成部材のことである。名称のとおり「木」が使われることが主流で、日本ではクリ、ヒノキ、ヒバなどの耐久性のあるものが用いられていた。通常の線路においてはレールを二本平行に敷設し、その下に枕木を敷いてレールを支える。枕木の間にはバラスト軌道、いわゆる石を敷き詰め道床を設け、枕木に伝わる列車の重みを分散させたり、弾力性を持たせ具合を調整する役割がある。外山は枕木をこれまでの木製より耐久性が高いコンクリート製を使用することに着目した。
 '27(S2)外山が開発したコンクリートまくらぎが東京駅構内に敷設されたことで確信を得、'33(S8)外山鉄道研究所を創設。まず鉄筋コンクリートの枕木であるRCまくらぎや、レール締結装置、アンチクリーパなど軌道用品の開発研究を開始した。そして、プレストレスト・コンクリートまくらぎ、いわゆる「PCまくらぎ」を発明していく。これはRCまくらぎがひび割れしやすかったことに対し、PCまくらぎは、ひび割れに強く、寿命も長い。そして重量が大きいので軌道をよく安定させることができた。
 戦後、社名を外山軌材株式会社に改名。さらに、'50 日本鋼弦コンクリート株式会社と改名し、我が国で最初の「PCまくらぎ」の製作を開始した。'55 鉄道軌材工業株式会社を創設し、レール締結装置など軌道用品の開発と販売を開始。その後も改良していく。
 新幹線は外山の発明したPCまくらぎ締結を採用し、戦後多くの私鉄はPCまくらぎ締結に切り替えている。木製の枕木を使用し続けている地方鉄道で列車脱線事故があったことで、2018 国土交通省は木製より耐久性が高いコンクリート製まくらぎへの取り換えを通知している。
 外山は鉄道産業の発展に貢献した功績で、'68 勲三等瑞宝章を受章した。享年92歳。なお外山の母校である新潟県の沼垂(ぬったり)小学校に、外山の顕彰碑が建っており、この小学校では将来の励みとなるよう、毎年優れた成果を挙げた児童等を「外山記念賞」として表彰している。

<鉄道軌材の歴史、鉄道軌材工業の歴史より>
<墓所内の碑や顕彰碑などの刻みより>


とやま しげたろう

*墓所内墓石正面に「偲ぶ」と刻み、右の花立に外山家、左の花立に松尾家と刻む。 墓石右側に外山繁太郎の顔レリーフがはめ込まれた記念碑が建つ。碑に刻まれる建立者略歴「西暦1968年 74才 新幹線 其の他 私鉄軌道のPC枕木締結を発明し その実用化の功績に依り 勲三等瑞宝章授与せらる 1969年建之」。

*墓所には左右に墓誌が建ち、右側墓誌に外山繁太郎が刻む。戒名は昌徳院創譽壽山繁翁居士。妻はキイ(H10.9.25歿・行年99才)。長男は外山繁榮(H17.11.25歿・行年84才)。その他墓誌には、繁太郎の子と繁栄の子で早死した子ども5名(繁太郎の次女、三女、次男・繁栄の長男、次男)が刻む。繁栄の妻は一女(S38.12.1歿・行年38才)。繁太郎の長女夫妻である津久井正幸、美似も刻む。墓所左側の墓誌には松尾君子、松男英雄が刻み、英雄には松尾大吉長男と刻まれている。松尾大吉は勞力請負業や船舶給水業者で財を成した山口県の多額納税者。



第251回 新しい線路の開発 PCまくらぎ締結 発明者
外山繁太郎 お墓ツアー 鉄道軌道は木からコンクリートへ


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