メイン » » » 関野 貞
せきの ただす

関野 貞

せきの ただす

1867(慶応3)〜  1935(昭和10)

明治・大正・昭和期の東洋建築史、美術史家

埋葬場所: 6区 1種 12側 27番

 1896(M29)奈良県技師となり、同県の古社寺建築の修理・研究に従事。1901東大助教授。 05法隆寺非再建論を発表し、喜田貞吉と法隆寺論争を展開。08「平城京及び大内裏考」の研究により工学博士となる。 この間、02朝鮮に渡り、朝鮮の古美術・古蹟の調査をして以後、楽浪郡治址を確定した。 また07中国山東省の建築的遺跡を調査。18(T7)欧米への遊学の途次、中国山西省の仏教遺跡、天龍山石窟を発見した。 20帰国して東大教授。29(S4)退官、名誉教授。日本・朝鮮・中国の建築史にとどまらず、広く美術史・考古学の大家として、その研究業績の学界に及ぼした影響は極めて大きい。

<コンサイス日本人名事典>


墓所


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・さ行 | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。