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せきの おさむ

関野 長

せきの おさむ

1881.7(明治14)〜 1966.9.16(昭和41)

明治・大正・昭和期の実業家

埋葬場所: 6区 1種 12側 27番

 新潟県出身。高田藩士の関野峻節、やゑ(共に同墓)の4男として生まれる。姓の旧字は關野。長兄が美術史家の関野貞(同墓)。甥に建築史学者の関野克(同墓)、考古学者の関野雄がいる。
 1906(M39)東京帝国大学工科大学電気科卒業。卒業後、三菱電機会社に入り、後に神戸製作所長に就任。その後、三菱電機参事を務めた。

<人事興信録>


墓所

*墓石前面「関野家之墓」。右側に墓誌は母のやゑ(弘化2.8-S4.6.23)から刻みが始まり、次に関野喜七ら他十九名が「昭和五年六月二十二日埋葬」と刻む。15才で亡くなった萬壽子の次に関野貞。貞の妻も きよ(M15.8-S51.9.19)。次兄の関野謙三(M8.10-S13.4.2)、謙三の妻の純子。その次に関野長が刻む。長の妻は勝子。また甥の関野克(M42.2.14-H13.1.25)、克の妻は和子も同墓に眠る。


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