メイン » » » 関口健太郎
せきぐち けんたろう

関口健太郎

せきぐち けんたろう

1876.3.1(明治9)〜 ?

明治・大正・昭和期の行政裁判所評定官

埋葬場所: 20区 1種 10側

 群馬県出身。旧漢字では「關口」。関口五郎平の長男。1900(M33)東京帝国大学政治科卒業。大蔵省に入省。司税官に任ぜられ、東京税務管理局に勤務。郡山、宇都宮、丸亀の各税務署長を歴任し、'07 行政裁判所評定官に任命された。
 ゼーリグマン著『租税転嫁論』(1909)、ニコルソン著『アダム・スミスの帝国主義観』(1917)の翻訳も手掛け、著書『經濟論叢』なども刊行した。正2位 勲1等。

<大衆人事録東京篇>


墓所

*墓石は前面「関口家墓」、裏面「昭和十九年六月二十二日 正二位 勲一等 關口健一郎 建」。右側に最新大型潜水艦の伊号第7潜水艦水雷長としてキスカ島近海での戦いにおいて戦死した関口健太郎の6男の関口六郎の碑が建つ。この碑の撰は詩人・英文学者の土肥晩翠。なお、それ以外に墓誌など埋葬者の名前を等の刻みはない。

*妻の たけよ(M2生)は山梨県出身。小林所資の長女。二男の次郎(M41)は東京帝国大学工学部を卒業し三菱重工業に勤務。次郎の妻は海軍少将の佐山徳太郎の長女。三男の三郎(M43)は神戸商業大学を卒業し日本タール工業勤務。五男の五郎(T3)。六男は六郎(T5)は海軍少佐(戦死)。長女の栄子(M35)は櫻井鐵太郎の長男の櫻井孝に嫁ぐ。二女の まつは(M39)は森山達郎に嫁いだ。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・さ | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。