【破壊活動防止法】
略称は破防法。1952年7月21日(S27)公布。特別刑法の一種であり全45条(法律第240号)。政治目的とする暴力的破壊活動を行った団体に対して、規制措置を定めるとともに、その活動に関する刑罰規定を補正した法律。
1952年当時、日本共産党や朝鮮人の武装革命闘争によって警察署や税務署が襲撃・デモ行進による暴徒的な行為への対応策として考えられ、血のメーデー事件をきっかけに、ポツダム政令であった団体等規制令の後継立法として施行された。
第3次吉田茂内閣による原案が提出。その草案に携わったのが関之。吉田内閣と与党である自由党は原案そのままの可決を目指した。
右派社会党は修正案、左派社会党と自らが標的とされる可能性が高くなる日本共産党は反対の立場で争い、アメリカ的な考えである破防法に対して、「米帝の手先であり売国奴」と非難した。
結果、参議院では自由党は過半数に満たず、参議院すなわち緑風会(緑風会については楠見義男の文中に詳しい)に委ねられることとなった。
緑風会は独自案を提出し、「この法律は国民の基本的人権に重大な関係があるから、公共の安全の確保に必要な限度においてのみ適用すべきであって、いやしくもこれを拡張し拡釈して解釈してはならない」などの文言を加えた。
結果、一度は否決されたが、吉田内閣が緑風会に譲歩した結果、参議院で通過し、衆議院本会議でも賛成多数によって可決成立した。
適用され有罪となった例は、元旧軍将校らが画策したクーデター未遂事件(三無事件:1961)、赤軍派の塩見孝也、中核派による渋谷暴動事件がある。
1995(H7)一連の事件を起こしたオウム真理教に対して破防法が適応される否かで注目されたが、結果適用されず、実質的に適応できない意味がない法律ではないのかという批判意見が相次いだ。