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さわもと みちお

澤本倫生

さわもと みちお

1923(大正12)〜 2004.8.10(平成16)

昭和期の海軍軍人(大尉)、実業家

埋葬場所: 10区 1種 10側

 東京出身。海軍大将の澤本頼雄・初子(共に同墓)の二男。兄の太華生は日本特殊陶業会長の森村勇の養子となったため、倫生が澤本家を継いだ。麻布中学校を経て、海軍兵学校卒業(72期)。
 1943.9.15 少尉候補生として伊瀬乗組。同.11.15 第2水雷隊司令部を経て、'44.2.17 山城乗員。同.3.15 少尉に任官。
 同.9.1 大和級戦艦である空母「信濃」艤装員となり、同.9.15 中尉に進級し、同.10.1 信濃乗組。同.11.19 航空母艦「信濃」は竣工。同.11.28 空襲を避けるため未完成のまま横須賀から呉へ回航される。第17駆逐艦に護衛されて航行中、同.11.29 午前3時20分に紀伊半島潮岬沖合でアメリカ潜水艦アーチャーフィッシュの魚雷攻撃を4本被弾。浸水が止まらず、この時の状況を澤本は「13度に傾斜した時点で主ボイラーを止めてしまったため、電気や蒸気が使えなくなり、やむを得ず手動ポンプで排水作業を実施した」と回想している。午前10時50分にわずか竣工から10日にして沈没。生存者は準士官以上55名、下士官兵993名、工員32名。戦死者は「信濃会」の調査によると791名(工員28名、軍属11名を含む)。
 同.12.15 東京通信隊 兼 軍令部に転属となり、'45.6.1 大尉に昇進、終戦を迎えた。
 戦後は旭硝子に勤務した。享年80歳。妻の和子は実業家の北村正太郎の長女。

<日本海軍士官総覧など>


*墓石前面は「澤本家墓」、裏面「昭和十四年三月 澤本頼雄 建之」と刻む。右側に墓誌が建つ。母の初子(S10.8.14没・行年49才)から刻みが始まる。次に父の澤本頼雄が刻む。その次に父の後妻の素子(H5.9.16没・行年90才)。


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