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さわ もそきち

澤 茂三吉

さわ もそきち

1869(明治2.5)〜 1931.7.28(昭和6)

明治・大正期の陸軍軍人(少将)、実業家

埋葬場所: 6区 1種 5側

 長野県出身。諏訪藩士の澤寧の3男として生まれる。1911(M44)兄の謙吉より分家。
 1892.7.23陸軍士官学校卒業(3期)。同期に武藤信義(後の元帥)、男爵の鍋島直明(後の少将)らがいた。1893.3.13 陸軍砲兵少尉に任官。
 日露戦役の功により功4級金鵄勲章を授けられる。その後、東京砲兵工廠銃包製造所長、大阪砲兵工廠作業課長など様々な要職を経て、1915(T4)砲兵大佐に陞任す。
 '18.7.24 大阪砲兵工廠技術課長を歴任し、'19.7.25 少将に進み、同日待命。同.11.1 予備役編入。後年は、日露開運会社代表取締役を務めた。従4位 勲3等 功4級。享年62歳。

<帝国陸軍将軍総覧>
<日本陸軍将官総覧>
<人事興信録>


*墓石は前面に澤茂三吉と妻の花枝の戒名「報國院殿泰道茂三居士 / 貞香院殿花山妙枝大姉」、台座に「澤」。右面「陸軍少将 従四位 勲三等 功四級 澤茂三吉 / 昭和六年七月二十八日卒去 行年六十三歳」と刻む。左面「澤花枝 昭和三十三年三月二十日歿 行年八十三歳」と刻む。裏面は早死した長女の郁(M32.9.1歿)と四女の合子(M39.7.16歿)の二名が刻む。墓所右側に墓誌が建ち、ベルナルド 木村正三(H28.10.4帰天・82才)、ヴェロニカ 木村嗣枝が刻む。

*澤茂三吉の妻の花枝は東京出身、依田百川の四女。二人の間には5女を儲ける。長女の郁は早死。二女の阿耶女(M33.5生ま)は大阪天王田伸銅所長の奧野孝治郞に嫁ぐ。三女の篠枝(M36.1生)は外綿会社技師の川村伴三に嫁ぐ。四女の合子は早死。五女は三枝。墓所は孫が継いだと思われる。


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