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さかや かずお

昌谷三雄

さかや かずお

1877.11.15(明治10)〜 1940.1.31(昭和15)

明治・大正・昭和期の海軍軍人(造船少将)

埋葬場所: 16区 1種 10側 5番

 東京出身。祖父の昌谷精渓は津山藩儒官の漢学者。父は津山藩士で明治司法官、大審院判事を務めた昌谷千里。3男として生まれる。長兄の昌谷彰は大分・埼玉県知事、樺太庁長官を務めた内務官僚。
 1903.7(M36)東京帝国大学工科造船学科卒業。'05.8.21海軍造船中技士となり呉鎮附。'06.3.3 兼 海兵運用術教官、同.8.12教官を兼務し馬要附となり、同.9.12 更に修理工場附を兼務した。 同.9.25海軍造船大技士に昇進し、同.10.13各々兼務しながら更に佐工廠造船部部員も兼務。'08.2.5教官のみ外れ、他3つは兼務継続。'10.10.6それぞれの役割を解かれ、舞工廠造船部部員となる。 '14.12.1(T3)海軍造船少監、'18.12.1海軍造船中監、'19.3.11造船監督官を経て、同.3.12米国出張。同.9.23海軍造船中佐に昇格、'20.10.26命帰朝。
 '21.1.17佐工廠造船部部員、'22.12.1海軍造船大佐となった。'23.11.20造船監督官、'27.4.5(S2)艦本造船監督官に就任、同.12.1海軍造船少将となり、艦本出仕を兼務。'28.3.15待命、同.3.25予備役、'37.11.13後備役。享年62歳。

<帝国海軍提督総覧など>


墓所

*墓石に「昌谷家之墓」。右側に墓誌があり、俗名、没年月日、行年が刻む。墓誌は三雄から始まり、若く亡くなった娘の清美、妻のウメ、息子でダイセル(ダイセル化学工業)社長を務めた忠、その妻の弘子(H11.12.23 85歳歿)が刻む。 弘子は7代目 松本幸四郎の長女であるため歌舞伎界と親戚関係。また、同墓ではないが息子の昌谷孝は日本飼料協会理事長、全国牛乳普及協会会長、農林官僚を務めた人物である。

*祖父の昌谷精渓、父の昌谷千里の墓所は天現寺(東京都港区南麻布4-2)。


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